回復に向けて動き出すも待ち受けている絶望

周囲が放置したからといって、Aさんのギャンブル問題は解決しない。その頃の私は海外に住んでいたため物理的に距離を置いていたが、数年後に大きな節目を迎えたと聞いた。

当時はすでにインターネットが普及しており、ギャンブル依存症という言葉も徐々に広まり始めていた。誰ともなく「Aさんはギャンブル依存症」で、「治療が必要だ」と言い出したそうだ。

その話を聞いた私は、「依存症のリハビリ施設に入れたらどうか」と提案した。当時住んでいたアメリカには、アルコールや麻薬依存症患者のリハビリ施設がある。日本にも同じような施設があるのではと考え、ギャンブル依存症の人を治療してくれるクリニックと施設を探した。そしてそのときに初めてギャンブル依存症がどういったものなのか知った。

まず、ギャンブル依存症は「完治しない」。脳の仕組みが変化して行動が抑制できなくなる。ギャンブル依存症患者の脳は、「『たくあん』のような状態で、水につけてもダイコンには戻らない」と説明されることがある。

症状のひとつに「嘘」や「ごまかし」がある。自己嫌悪や劣等感、羞恥心からうつ病を併発することが多い。そして、徹底的な孤独である。ギャンブル依存症はギャンブルを経験した人なら誰にでも起こりうる病であり、ビギナーズラックでハマって後戻りできなくなる人もいる。回復のためには自助団体に通うのが効果的だ。

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なぜ「孤独の病」とも言われるのか

私は心から恐ろしくなった。もし自分の脳がたくあんになって、元に戻れないとわかったらどう感じるだろうか。自分の行動の全てが疾患によるものだとようやくわかったのに、その治療法が自助団体に参加して、常にギャンブルによるドーパミンを渇望する脳を抱えながら我慢を繰り返す日々を送ることでしかないとわかったら、治療に向き合えるだろうか。家族や友人の理解やサポートが大切だと書かれているが、その人たちとは深い溝ができていたら、何を糧にして辛い努力を続ければいいのだろうか。

私は、Aさんがどんな気持ちでこれらの事実を受け止めるのかと想像し、心の底から気の毒に思った。そして、嘘に嘘を重ね、空になった通帳や膨れ上がる借金の現実に恐怖し、眠れない日々を送っていたかもしれないAさんを思い、涙を流した。何も知らずに屈託なく笑う友人や慕ってくれる人、明日の心配をすることもなく寝息を立てる家族と自分を比べ、たまらない孤独を感じていたのではないか。ギャンブル依存症は「孤独の病」とも言われるが、その通りだと思った。

私は「ギャンブル依存症=悪」とは考えていない。この依存症は誰にでも発症する可能性があり、段階があるからだ。社会復帰を目指す人たちは、毎日毎時間毎分「ギャンブルをしない」と選択し、ギャンブルに手を出さなかったことに胸を撫で下ろして一日を終えている。その様子を、心を砕きながら支えたり見守ったりする周囲の人たちがいる。その努力には心から頭が下がる。

金の使い込みや犯罪は法的に罰せられるべきだが、刑事罰を与えるだけでは依存症は治らない。ギャンブル依存症という病を全体像で捉えるならば、犯罪と治療は切り離して考える必要があるだろう。

Aさんはその後、自分でギャンブル依存症について調べ、納得して自助団体に参加するようになった。自助団体でAさんがどんなことをしていたのかは知らないが、同じような境遇の人たちと苦しみを共有できたのは回復への助けになったようだった。