母親は今後、両親を頼ることができるのか

けれど、思い出してほしい。「こうのとりのゆりかご」(医療法人聖粒会・慈恵病院が運営する、通称赤ちゃんポスト)から連れ戻した三女が家庭に戻る際に児童相談所は2つの条件を出していた。

ひとつは保育園に登園させること、もうひとつは両親の助けを借りることだった。しかし、証人尋問の場で被告の母親は、三女が被告のもとに引き取られてから亡くなるまで一度もアパートを訪ねたことがなかったと述べている。

亡くなった三女は、2022年夏に保育園への登園が止まってから2023年5月に亡くなるまで、被告が実家工場に出勤している間、アパートに1人残されていた。被告は母親に「保育園に登園している」「療育専門の託児所に通園している」と、うその説明をしていたことが裁判で明らかになっていた。また、三女が熊本市から三重県に移管され、被告の希望により家族の再統合に向けた調整が始められてからも、被告が母親に三女の存在を明かすまでに1年がかかっていた。

このような被告と母親の関係性の事実と、三女が死に至った事件に、直接の関係があると言い切ることはできない。それでも、このような事実が明らかになってなお、「親を頼ってね」というのは現実に即していないように思える。

「こうのとりのゆりかご」に預け入れ、その翌日には撤回するという、極端から極端へと振れる選択。他者に相談できず、二度も孤立出産に突き進んだ事実。こうした被告の選択の履歴からは、被告の持つ何らかの特性が浮き上がっているのではないか。

そのことに検察、弁護人、そして裁判官も目を向けることのないまま一審は終結し、被告は一礼をして扉の向こうに去った。

1人で出産し、育てることをあきらめる女性たち

2007年に開設された「こうのとりのゆりかご」に預け入れる女性のうち、孤立出産だった人の割合はおよそ8割に上るという。頻出する孤立出産乳児遺棄事件から推測すると、年間100件ほどの孤立出産が発生しているのではないかと、慈恵病院ではみている。そして同院が突き止めた、「こうのとりのゆりかご」に預け入れる女性たちに共通する4つの事実については第1回で述べた。

「私たちは預け入れを撤回したあとに『やっぱり自分で育てる』とおっしゃるケースこそ、大変心配します」

こう話すのは、医療法人聖粒会・慈恵病院新生児相談室長の蓮田真琴さんだ。蓮田さんによると、預け入れた直後に赤ちゃんの引き取りを希望する女性はこの被告だけではないという。

筆者撮影
医療法人聖粒会・慈恵病院「こうのとりのゆりかご」責任者の蓮田真琴さん

「1年におひとりぐらいでしょうか。やっぱり自分で育てたいです、とおっしゃる方がいらっしゃいます」