最高裁判決で富士山頂は浅間大社のものに

膠着こうちゃくした状況が続く中、浅間大社は、1957年に国を相手取り、富士山8合目以上の返還を求める訴訟を起こした。

1962年、名古屋地裁は徳川幕府の裁許状などを根拠に浅間大社の訴えを認めた。

高裁でも国が敗訴、最高裁は1974年4月、国の上告を棄却して、富士山8合目以上を浅間大社の所有と認めた。

それでも、国はすぐには最高裁判決に従わなかった。

2004年12月になってようやく、財務省は富士山8合目以上の払い下げ譲与決定通知書を浅間大社に交付した。

浅間大社は、晴れて富士山頂上付近をご神体として守っていくことができることになった。

富士山本宮浅間大社奥宮(写真=名古屋太郎/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons

以降、富士山8合目以上は、静岡県側だけでなく、山梨県側でもすべて浅間大社奥宮の境内地である。

だが登山者にとっては、富士山頂が神社の神聖な場所であることは全く関係なかった。

山梨県側では今夏から入山規制が始まるが、昨年と今年とで、山梨県の県有地について、どこか違う事情があるわけではない。

長崎知事は、昨シーズンのあまりにもひどい弾丸登山などを踏まえ、これまでと全く同じ状況の中で、常識を覆す「ゲート」設置を思いついたのである。

その発想の原点には、富士山麓がもともと天皇家の財産だったという特殊事情が影響している。

登山者は知らずに「私有地」に入っている

富士宮市の浅間大社の事情とは表裏一体である。

江戸時代から明治時代に入ると、日本全国の地域、集落などで所有していた山林の大半が国有化された。さらに、明治政府は国有林を御料林として天皇家の財産に付与したため、天皇家は日本一の山林地主となる。

日本一の山林地主となった明治天皇は、相次ぐ大水害に見舞われた山梨県に対して、県土の35%を占める御料林16万4000ヘクタールを無償譲渡した。この無償譲渡された山林は「恩賜林」と呼ばれ、現在では富士山麓5合目まで広がっている。

長崎知事が入山規制に踏み切ったのは、富士山5合目までの山麓付近がすべて天皇家の御料林であり、現在、県有地となった歴史的経緯が大きい。

一方、静岡県でも、富士山8合目以上が浅間大社の所有地であるという歴史的経緯を持つ。徳川幕府の裁許状によって、浅間大社の信仰の場所であると裁判所も認めているのだ。

ただ登山者は勝手に私有地である浅間大社の境内地に入っていることに気づいていない。