銀行口座にお金がないならば、稼げばいい

宗教、異性、買い物、薬、アルコール、整形……世の中には何かに依存する人は多い。しかし依存は一瞬の多幸感に包まれるが、長続きしない。場合によっては身ぐるみ剝がされてすってんてんになったり、健康を害したりすることもあるのだ。

野原さんの麻雀依存は50歳頃まで続く。依存から離脱できたのは麻雀とセットにようにして嗜んでいたタバコをやめたのがきっかけだ。雀荘のタバコの煙のにおいが嫌いになり、麻雀の牌を並べるのが面倒になったのだとか。

その代わり、手芸が趣味なので大量の布や高価なミシンを買うといった、買い物依存に走ったこともある。その前には英語教材や100万円もする着物を衝動買いして、何年もローンに苦しんだし、イタリアでブランド物を買い過ぎてお得意様の顧客名簿に載ったことも(実際には友人に頼まれた買い物も含むが)。

何かをやめればまた何かが欲しくなる。しかし散財したことを後悔してない。

「お金は道具ですから使わないと意味がありません。お金そのものを精神安定剤にする人もいますが、私には信じられませんね」

そう、野原さんは働く力はあるが、ためる力はない。

「今まで、銀行に80万円を超える残高があったことがないんです。口座に入っているお金は支払いに消えるだけ。たまに1カ月ぐらいの生活費が残っていることがありますが、大抵はカツカツ。でも、お金がないならば稼げばいい。ためるよりもそっちのほうが私のメンタルは安定します」

酔拳のようなベッドメイクと、混ぜるな危険のおばさんたち

40歳以降、経営や麻雀で金銭面が苦しくなったので、ライター業とバイトとの兼業生活に入る。ホームセンターの商品仕分けや事務所の掃除などの肉体労働をやったが、ホテルのベッドメイキングは学びもあったそうだ。

「1日のベッドメイクの担当は初心者で3室、慣れてくると6室、ベテランは13室と徐々に部屋が増えていくんです。自分とベテランの違いがどこにあるのかと思い、一度見学させてもらったことがありました。そのベテランはものすごいスピードでやっていると思ったら、そうじゃないんです。体の使い方がとにかく優雅。あえて例えれば、ジャッキー・チェンの映画『酔拳』の使い手みたい(笑)。手足の動きはゆったりしているけれど、まるで無駄がない、でも仕事が的確でとてもスムーズなんです」

ベテランの姿はアスリートのようで見ほれたという。一方の自分は制限内に終えねばと気負ってしまうので、バタバタと手足を無駄に動かすだけ。しかも仕上がりは決してきれいではない。

それに人間観察も興味深かった。

「『おばさんは“混ぜるな危険”だよ』って上の人から言われたのです。彼女たちを一つの場所に集めると、仲がいい時もあるけど、雰囲気が悪くなって仕事を辞めてしまうこともあるんです。それでは雇う側も大変です。だから、休憩は掃除した部屋で、一人で過ごしてもらうんです。もちろん、掃除したままのきれいさを保ちながらですけどね」

雇用の安定性のためにも「混ぜるな危険」なのである。

肉体労働をする自分を受け入れられないおじさんたち

60歳を過ぎると、ベッドメイキング以外にアマゾンの倉庫内の商品ピックアップやユニクロのバックヤードの仕事も経験。時に自分の子供のような若いバイトリーダーにこっぴどく怒られてたし、最初は疲れ果てて倒れこむように帰宅したこともあったが、それも次第に慣れてくる。そしてどうやったら効率よく仕事をすることができるかと考えるのが楽しくなる。さらにはお馴染みの人間観察に精を出す。

「アマゾンには、元ホワイトカラー、しかも現役時代は相当出世したらしいリタイアおじさんもいました。“俺は本来なら、こんなところにいる人間じゃない”アピールがすごくて。はやく場に馴染んだほうがラクなのに……」

写真=iStock.com/Daria Nipot
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自分の能力をアピールしたいのであれば、転職エージェントに登録してエントリーをすればいい。が、定年後に自分の期待するほどの厚遇で迎えてくれる会社がどれほどあるか。否、ほとんどないことを思い知らされるだろう。だとしたら、体力さえあれば何歳でも歓迎してくれる肉体労働の現場を野原さんは勧める。条件のいい知的労働は大抵若い世代に取られてしまうという理由もあるが、肉体労働にはちゃんと魅力もある。

「肉体労働はその日のうちに完結しますし、何より健康にいい。体を動かしていると仕事に没頭できるので、余計なことを考えずにすみますし精神にもいいんです。一つの仕事だと飽きてしまうのなら、バイト派遣会社に登録していろいろな仕事を紹介してもらってもいいでしょう。今は選ばなければなんでも仕事はあります。会社員のようないいお給料をもらえないけれど、10円、100円を稼ぐことの大変さと面白さを感じられます。年を取ったら、心身にいい働き方をした方がいいと思います」

野原さんは周囲にいるエリートサラリーマンにも肉体労働を勧めているが、自分は“そっち側”にいくべき人間ではないと拒否されることが多いとか。