高等教育を普及させるには課題山積

一方、大学や中学の設置は構想通りには進まなかった。とりあえず代替物で間に合わせて、中学校については1886年、各都道府県に尋常中学校を置くことでようやく軌道に乗り始めたことは、〈47都道府県の「旧制一中」の栄枯盛衰…地元トップを維持する名門22校と凋落した元名門17校の全リスト〉などの記事で紹介してきたとおりだ。

大学など高等教育については、本来の構想からすれば、フランスやドイツの制度にならい、全国に8つの総合大学をつくって、単位の互換性を認めるのが理想だったのかもしれない。だが、そんな予算も教師もその勉学の基礎となる中等教育を受けた学生もいなかった。そこで、まずできることから始めるということになった。

また、開国間もない当時の状況では、日本や東洋の歴史・文学を別にすれば、あらゆる学問領域で、過去の蓄積などほとんど役に立たず、外国語をマスターして留学するか、お雇い外国人の教官に学ぶしかなかった。それに加えて、促成栽培で各分野の中堅専門家を養成する必要もあった。