今の指導者はあれこれ口出ししない
ある球団の投手コーチは
「春季キャンプが始まって、投手がおかしなフォームに変わっていても、こちらから一方的に指導はしない。選手が『おかしいな』と首をかしげるようになって、はじめて短いアドバイスを与え、相手に気づかせる」と言う。
筆者が「そんなまだるっこしいことをせずに、直接指摘をした方がいいのではないか?」と聞くと、
「私はいつまで投手コーチでいるかわからないし、投手も移籍するかもしれない。指導者に言われたからではなく、自分の感覚、自分の意志で間違いを修正し、進化していくことができなければ、プロの世界では生きていけない。人からああしろ、こうしろと言われて改めるようでは、プロではやっていけないんだ」と話した。
少し前まで、投手コーチと言えば「投手のフォームをあれこれいじるのが仕事」のように思われていたが、隔世の感がある。
もちろん今でも選手に「罰走」を科したり、ブルペンで「肘が下がってるぞ」みたいなことを言うコーチもいるが、今ではそちらの方が少数派になりつつある。
要するに指導者とは「選手に気づきを与え、選手自身を進化させるため」に存在しているのだ。
なぜ昭和は上意下達が理想とされたのか
しかし、こうした「新しい指導」はアマチュア球界ではまだまだ浸透していない。
筆者は少し前、自動車教習所の取材をしていて、教官に「一番扱いにくい生徒はどんな人ですか」と聞いて「そりゃ、高校野球の選手だね」と即答されて驚いたことがある。
「高校野球の選手は、監督の言うことに何でも大声で、はい! はい! という習慣がついているから、返事だけはいいんだけど、あとで聞いてみたら何にも頭に入っていないんだ。本当に困るよ」
とのことだった。
従来の高校野球は、指導者が一方的に選手に指示を与え、選手はそれに従って野球をしていた。指導者に忠実な選手が優秀な選手であり、選手を頭ごなしに叱責するようなことがあっても「選手を従わせることができる」のが優秀な監督だった。その結果、甲子園で好成績をあげれば、その指導者は名将と呼ばれたのだ。
名将の下で厳しい指導に耐えた選手は、プロでも活躍したし、一般社会でも上司の言うことに忠実で、どんな苦労でも耐えることができる優秀な人材になった。昭和の時代は、それでよかったのだ。