2022年ドラフト指名漏れで「死にたくなった」
吉村は東京・国立市の私立の小学校に通っていた。クラスには医師や官僚を目指す同級生が大勢おり、本人にもある時までは中学受験で開成、筑波大駒場などを受験するレールが敷かれていたはずだ。ところが、あるとき「早実で野球をやりたい」という思いが沸き上がる。
「(2006年にハンカチ王子の愛称で話題を呼んだ)斎藤佑樹(早実→早大→日本ハム、21年引退)さんが甲子園で優勝して、憧れました」
担任の先生にも反対されたが意思を貫き、中学受験で早実中等部への入学を果たす。中等部の軟式の部活を経て、高等部の(硬式)野球部に入って目的を実現させた。ところが、早大で野球を続けなかった。
「自分は大学では(主に下級生を指導する)学生コーチになると想像できちゃったんです。プレーヤーでいたいけど、自分のレベルでは大学野球の試合に出られないと思いました」
結果、早実の知り合いもいて、熱心に誘ってくれたアメフト部に入ることになる。
「それまで早大アメフト部はあと一歩というところで甲子園ボウル(大学日本一決定戦)では勝てていなかったんです。自分が入ることで日本一に導けたらと」
実際に2018年と19年に甲子園ボウルに出場。19年(3年生時)の時に、タッチダウンを奪うなど活躍したが結局、日本一は果たせなかった。
アメフト部在籍はかけがえのない経験になった。ただ、どこかに野球への未練が残っていた。それは、近しく親しかった者がプロ野球選手になっているからだ。「自分もなれるんじゃないか」。そんな気持ちが拭い切れなかった。強く意識したのが後輩の清宮だった。
「清宮がいなければプロを目指すことはなかったでしょう。彼がやれるなら、と気持ちを強くかきたてられました」
大学を卒業し、4年間、アメフトをやり終えて決心する。「俺はプロ野球選手を目指す」「球速150kmのボールを投げる」。
大学院に籍を置くがいったん休学して、都内のある野球クラブチームに所属。NPBの入団テストを受け、ドラフト指名を待ったが、合格通知は届かない。翌(2022)年はプロ野球独立リーグの四国アイランドリーグplusの「徳島インディゴソックス」に入団して、非公式記録ながら目標通りに150kmを出したが、やはり吉報はやってこなかった。
2022年の指名漏れの際は「死にたくなるぐらい落ち込んでいた」という。どん底の気分を味わわされたが、誰も自分を助けてくれない。誰もタダ飯を食わせてくれない。