母親の終活
2022年3月。太り気味だった母親は体重が10キロ以上減り、やせ型に変わっていた。血液検査入院の結果が出るまでの2週間、母親は断捨離と相続対策に勤しんでいた。母親が痛みを薬で誤魔化しながら、急くような形で“終活”に取り掛かったのは、両親の血縁関係が複雑だったからだ。
父親には前妻との間に2人の息子がいる。2人とも春日さんより10歳以上年上で、何度か会ったことがあるが、ほとんど交流はない。しかし、兄の方は、時々忘れた頃に父親にお金の無心をしてきた。貯金のできない父親は、母親に頼りきりだったため、母親が父親の息子にお金を渡す度、両親がぎくしゃくしていた。
母親が父親より先に亡くなれば、母親が管理していた夫婦の財産は、父親によって散財されてしまうかもしれない。もともとは母親の家だった実家を2世帯住宅にしたのも、相続対策の一環だった。父親が亡くなれば、異母兄弟の2人にも相続の権利がある。母親はたった1人の愛娘である春日さんのために、痛む身体にむち打って、税理士や司法書士との面談に出かけていた。
一方、母親には生みの母親と育ての両親がいた。母親がその事実を知ったのは成人後。生みの両親は母親を出産した直後に離婚し、母親は生後数カ月で育ての両親の元に養女に出されたとのだという。母親が養女の事実を知った時には、実の父親は亡くなっていた。
母親は、「私の母は、育ての母だけだから」と言って育ての両親をみとり、「産んでくれたことは感謝しているから」と言って生みの母親をみとった。そして、「母さんは、生みの母さんとは会いたくないだろうから」と言って、育ての両親とは離れた場所に新しくお墓を建てた。自宅にある遺影も仏壇も離してある。母親は春日さんに、「悪いけど、今後もお墓参りは2つお願いね」と言い、「私はいずれ、育ての両親のお墓に入りたい。分骨はしない」と話していた。
2週間後。検査結果が出た。「乳がんの転移と、卵巣がんの可能性あり。リンパ腫を示唆する所見なし」との結果を踏まえ、「来週PET検査を受けていただきます」と医師から告げられる。
母親と春日さんは、約5年前に食道がんが見つかった父親の時にもPET検査を経験しているため、「PET検査ならもっと早くやれたよね……」と思った。
しかし母親は文句1つ言わず、痛みに耐えながら、数日おきに親しい友達に会いに行くようになった。
1週間後、PET検査の結果が出た。母親は20キロほど体重が落ち、歩くのもやっと。一般的な鎮痛剤では効かなくなっており、医師が「麻薬」と呼ぶ鎮痛剤を服用していた。それなのに医師は、「食道周辺にがんの疑いがあるという結果が出たため、過去の乳がんと関連があるのかを調べ、複数の科をまたいで何度もカンファレンスをしている。結果が出るまでもう少し待ってほしい」と言う。
さすがに時間がかかり過ぎ、いら立ちを覚えた春日さんは、「こんなに検査続きで時間も体力も奪われて、その間に悪化しないのでしょうか?」とたずねる。すると、「時間がかかって本当に申し訳ない。1〜2週間で急激に進むということはない。来週にはカンファレンス結果が出るから、また来週来てほしい」との答えが返ってきた。
ところがその1週間後も、明確な診断や説明は得られず、さらに1週間を要した。4月下旬。医師からようやく、「食道がんステージ4B。多発肺転移、多発リンパ節転移。リンパ節転移による水腎症あり」と告知があり、母親の抗がん剤治療入院が決まった。10年以上前にかかった「乳がん」の転移ではなく、原発だった。(以下、中編へ続く)