論理の面白さ<3>ズバッとくる
論理の面白さの3つ目のパターン、それは構成概念自体の面白さである。このタイプの面白さは、「ガツン」でも「ハッ」でもなく、「ズバッとくる」(で、グッとくる)。
「ガツンとくる」本質論にはコクがある。「ハッとする」逆説には、キレがある。このコクとキレに対して、「ズバッくる」構成概念は、天然の素材の美味しさで勝負する。要するに、その概念が本来持っている魅力、論理的な美しさである。論理のエレガントさ、といってもよい。
論理的なエレガンスとは、きわめて特定少数の構成概念でありとあらゆる現象が切れる、ということを意味している。グッとくる論理がコクと滋養に溢れた煮込み料理、ハッとする論理が素材の意外な取り合わせで新しい美味しさをつくる創作料理だとすれば、ズバッとくる論理の面白さは最高のお米を使って職人が炊き上げたご飯の美味しさである。どんなおかずにもマッチして、おかずの美味しさを引き立てる(この比喩、意味が伝わるかな?)。ハッとする面白さがトシちゃん系だとしたら、ズバッとくるのはマッチ系だ(「ギンギラギンにさりげなく」)。一見あっさりとしたさりげない概念なのだが、その説明力はギンギラギンに強力なのだ(この辺、意味が伝わるかな?)。
やっとこここからが今回取り上げる『市場と企業組織』についての話である。著者のウィリアムソンは経済学者で、2009年にノーベル経済学賞を受賞している。彼の主要な業績が、本書が議論している取引コスト(transaction cost)という概念の提唱だ。これがやたらに「ズバッときて、グッとくる」。
たとえば、株を買うとする。買い手はもちろん株価に株数をかけた金額を支払わなければならない。しかし、これ以外にも、ブローカーに払う仲介手数料を払わなければならない。これが「取引コスト」だ。株取引に限らず、ありとあらゆる経済的な取引には取引そのものが必要とするコストがかかる。例えば自分が求めてるいものを一番安く買いたいと思ったら、情報収集にお金や時間をかけなくてはいけない。商売をするうえで信頼を形成したり、取引に際して契約を交わしたり、法律家に契約書をつくってもらわなければならない。契約したあとで、きちんと履行されるかどうかをモニターするためにも、それなりのコストがかかる。このように、商品やサービスそのもののコストのほかに、それを手に入れるための取引が必要とするコストを総称して取引コストという。
もちろん取引コストは目に見えるコストではない。損益計算書に「取引コスト」という費目があるわけではない。取引コストは構成概念にすぎない。しかし、これが実にいろんなものを説明してくれるのだ。まったく別々だと思ったものが、この取引コストという補助線を引くと、じつはことごとくつながっていく。この辺、取引コストの理論は「スバッときてグッとくる」面白さに溢れている。さりげないけどギンギラギンの面白さだ。