論理の面白さ<1>ガツンとくる

論理の面白さには、大別して3パターンがあると僕は考えている。ひとつは「ガツンとくる(で、グッとくる)」。これだけだと擬態語だけなので説明になっていないが、ガツンとくるというのは、要するに本質論の面白さだ。

例えば、野中郁次郎さんの知識創造理論、これはガツンとくる本質論の好例だ。野中さんは「知識が創造されるとはどういうことか」を考える。ご存知の方も多いだろう。暗黙知→形式知(表出化)、形式知→形式知(連結化)、形式知→暗黙知(内在化)、暗黙知→暗黙知(共同化)、という変換スパイラルを組織的に起こしていくということがすなわち知識の創造であるというかの有名な「SECIモデル」、これが野中理論の柱である(ご関心がある向きは『流れを経営する:持続的イノベーション企業の動態理論』をご覧ください)。

もう30年近く前になるが、僕が学生のとき、野中先生は情報処理パラダイムという、当時の経営組織論の中心的な理論的視点に立って研究していらした。その成果である『組織と市場』いう本は、当時、日本の経営学の代表的な研究成果としてリスペクトされていた。その情報処理パラダイムの理論について野中先生が特別講義をするらしいというので、僕も興味をもって聴きに行った(当時の野中さんは一橋大学の学部ではなく研究所にいたので、学部生に対する普通の講義は持っていなかった)。すると、いきなり冒頭で、「情報処理パラダイムは捨てた!」と野中先生が言い放った。拍子抜けである。

なぜ自分が長年研究してきて評価もされているテーマを捨てるというのか。その理由は「情報処理パラダイムの問題は暗い!」という、わりと情緒的なものであった。「人間が機械のような情報処理の体系でしかなかったら、組織の存在理由はない、もっと明るい理論が必要だ!」。「でもそれに代わるものがまだよくわからないからこれからすこし考え直したい」と、なにか宣言のようなかたちで講義が終わった。

思い返せば、これが知識創造理論の出発点、野中理論の転換期だったのだ。その後、20~30年をかけて、世界に冠たる知識創造理論がでてきた。いろいろな人がいろいろなことを言うけれど、ようするに本質は何なのか。ここを問い続け、突き詰めていった先に、知識の創造とは暗黙知と形式知の相互作用プロセスであり、そこに(企業に代表される)組織の重要な意義がある、という構図が見えてきたのだ。このように熟考に熟考を重ねたうえで出てきた本質論は、ガツンとボディにくる。経営のもろもろの意義と意味合いをじわじわと教えてくれる。で、グッとくる。面白い論理が詰まっている。

少し話はそれるが、野中さんがどれだけ思索を突き詰めているかということがわかるエピソードをご紹介しよう。かつて僕が一橋の国立キャンパスにある商学部で教えていたころ、野中さんは同じキャンパスの産業経営研究所に所属していた。この研究所は大学の機構では商学部の一部であった。当時、国立キャンパスの商学部では、年一度職場旅行に行くことになっていた。わりと平均年齢が高い職場ということもあってか、典型的な温泉旅行。浴衣を着て、大広間にコの字型にお膳が並び、芸者さんが出てきて三味線に合わせて謡ったり踊ったりするという完全昭和マナーの宴会が催される。

その席で野中さんは僕から離れたところに座っていたのだが、遠くから見ていると芸者さんにお酌をしてもらいながら野中さんがさかんに右手を左右に動かしている。声は聞こえないが、何を話しているかすぐにわかった。知識創造の本質が暗黙知と形式知の転換にあるという話をしているのだ。暗黙知から形式知へ(表出化)というところで右から左に手が動き、形式知から暗黙知へ(内在化)というところでまた左から右へ手が動く。そのうちに右手がぐるぐる回りだした。話がSECIモデルのスパイラルに移っている。

面白そうだから近くにいって聞いてみた。すると、野中さんが芸者さんに「あなたは自転車の乗り方を説明できますか」と詰め寄っている。芸者さんは怪訝な顔。で、野中さんは「できないだろう? なぜか。人間は語るよりも多くのことを知っているからだ」と畳み掛ける。暗黙知の話を真顔で初対面の芸者さんに語りまくっているのである。そのうちに芸者さんも論理の面白さを理解したらしく、自分の芸者としてのこれまでの芸事の修行プロセスが、まさに知識創造理論でよく説明できる、これからの仕事にもとても役に立つ、と喜んでいた。

本質論に行きつく人は、あるひとつのことに対して四六時中「要するに、何なのか」を考え続けている。これくらいでなければガツンときて、グッとくる面白い論理には到達できない。温泉で芸者を相手に真剣そのもので「SECIモデル」を説く野中先生の姿を目の当たりにして、若いころの僕は「この路線で本質論を突き詰めるのは自分には無理だな。別の路線で研究した方がよさそうだ……」と悟ったものだ。