殺人事件1000件中5%は介護がきっかけ
在宅介護をしている家族にアンケートをとると、30~35パーセントくらいの人が「虐待をした経験がある」と答えています。具体的にどんなレベルの虐待なのかは不明ですが、言葉による虐待、叩く、つねるといったことが多いように思われます。
いまや、同じことを施設で行えばニュースになって、激しく批判されることは確実です。それが家庭内ではかなりの頻度で起こっているわけです。
人間は心理的に疲弊すると、どんな行動をするかわかりません。
実際、“介護殺人”は、年間におよそ50件も起こっているのです。統計上、日本では殺人事件が年間1000件を下回っているので、その5パーセントは介護がきっかけになっているのです。
いまだに高齢者を施設に入れることに対して、ひどく罪悪観を持つ人がいますが、自分を責める必要はないように思います。単純なイメージでは独り暮らし=孤独で、子供や孫などの親族と離れて暮らすのは不幸に見えるかもしれませんが、同居のほうがかえって不幸だったりするわけです。
イメージではなく、数字で見て、同居と独り暮らしのどちらがいいかの判断が求められています。高齢者はどちらが幸福になれるか、確率から考えてほしいと思います。
後戻りができないと思い込みは頭を固くする
いま、日本では、お産で妊産婦が亡くなることはごく稀まれなことです。2020年の出産10万例あたりの妊産婦死亡率は2.8でした。この数字はきわめて低いだけに、妊産婦が死亡すると産婦人科医が訴えられるようになりました。
とはいえ、1960年代までは妊産婦死亡率は100を超えており、お産は命がけでした。不幸なことですが、いまでもゼロにはならず、一定の確率で妊産婦の死亡は起こっています。お産に関していえば、やはり一定の確率で障害児も生まれているのです。
確率は低いけれども、ゼロではないことはたくさんあります。たとえば、街を歩いていて車に轢かれて死ぬ確率は、相当低いけれどもゼロではありません。
ただ、そんなことは起こらないと思っているから、高齢者が運転して死亡事故を起こすと大騒ぎをするのです。
運転者が誰であろうが、統計上、日本では1日に約10人が交通事故で亡くなっている(2021年調べ)のです。都合の悪いことは起こらないと考えていると、リスクの確率を考えたうえでものごとを決定することができません。
当然、リスクへの対策も立てていないので、想定外のことが起こるとパニックになってしまいます。東日本大震災における東京電力の原発事故も、今回のコロナ禍も、そうした思考が背景にありました。
別の言い方をすると、これは日本人にありがちな「頭の固さ」そのものです。日本の場合、いったん決定したらなかなか変更しないし、変更したらもとに戻れないという感覚が強すぎるように思います。
政策でも何でも、ダメだったら戻ることができるという思考回路があればこそ、試行錯誤できるはずなのに、そう思えないから改革が進まないというところもあるのではないでしょうか。
うまくいかなかったら、柔軟にやり直せばいいのです。少なくともいったん決めたことはずっと守りつづけないといけないという意固地さや、逆に、いったん変えたら後戻りができないと思い込む柔軟性を欠いた発想は、「頭がいい人」の頭を確実に悪くします。
確率の考え方を取り入れると、ものごとは起こるときには起こるのです。リスクに対処することも必要だし、想定外のことが起こったとき、柔軟に対処することも織り込んでおくという姿勢を、「頭がいい人」に勧めたいのです。