距離感を見誤り、異性から縁遠くなってしまう
前頭葉は感情のコントロールを担う部分ですが、20代で発達のピークを迎え、年齢を重ねるとともに縮んでいきます。若い頃は「あ、これは今、言ったらまずいな」「これを言ったら、相手にどう思われるのだろうか?」などと、口にする前に自分でブレーキをかけられますが、前頭葉の衰えとともに、それが我慢できなくなるのです。つまり、思い浮かんだことを、そのまま口にしてしまうようになる。しかも、そのことに当人は気づけない。
先に例示した「○○ちゃん、彼氏でもできた?」という冗談は、気になる異性にちょっかいを出したくなる子ども同然です。こうしたちょっかいも大人になると、「彼女がイメチェンした理由は気になるけど、むやみに詮索するのも野暮だし」と考えるようになり、「いいですね、似合ってます」といったふうに褒めるようになります。
こうして互いの距離感をたしかめ合いながら、人は徐々に信頼関係を築いていくのですが、前頭葉の機能が低下すると、まるで赤ちゃん返りしたように、思ったことをそのまま口にするようになります。その結果、大して親密でない相手に距離感を見誤った冗談を投げかけ、どんどん異性から縁遠くなってしまうのです。
「セックスに旺盛な人、無縁な人」の違いとは
ここまで中高年男性の言動についてさまざまなダメ出しをしてきましたが、セックスに旺盛な人とまったく縁のない人という「中高年の性の二極化」が起こっているのは、こうした「熟年の愛の作法」を知っているか知らないかが背景にあると考えています。
私は常日頃から物事をはっきり言うタイプですが、このような話をすると、「先生、そのくらいで勘弁しといてくださいよ~。男は繊細なんだから!」「男って、傷つきやすいんです」と、冗談交じりにたしなめられることもあります。
もちろん勘違いやすれ違いがあるのは、男性も女性もお互いさま。なにも男性が一方的に悪いわけではありません。
しかし、この「男は繊細だから」という言葉が実はクセモノで、口にするほどセックスから縁遠くなります。
今の中高年男性が子どもだった頃は、「男の子だから」「長男だから」という理由で、おかずが一品多かったり、お風呂に入る順番が先だった……など、日常生活のなかでなにかと男児が優遇されることが多かった時代です。
そんな小さな日常生活の積み重ねによって、次第に「男は立ててもらうべき」という意識が内面に培われていきます。令和となった今もなお、この「男は立ててもらうべき」といった考えを持つ人は少なくありません。