論語と算盤』は、渋沢が後進の企業家のために自らの経営哲学を語った談話集。渋沢栄一述、梶山彬編/初版1916年/国書刊行会刊 『文明の生態史観』は、刊行後に「~の生態史観」という本が相次ぐなど、大きな話題を集めた。梅棹忠夫著/初版1967年/中央公論社刊

結果として、イギリスやアメリカの経済は、産業資本主義ではなく、金融資本主義によって復活を遂げ、産業よりもマネーが力を持つようになった。シティやウォール街が未曽有の活況を呈し、途方もない報酬も話題になった。しかし、08年の「リーマン・ショック」によって、この新しい資本主義も万能ではないことが明らかになり、人間の果てしない“GREED(強欲)”に疑義が向けられるようになった。

これらはただちに、「金融は悪である」ということを意味するわけではない。金融は経済の血液であり、産業振興のうえで重要な役割を担っている。だが、同時にレバレッジを上げたマネーゲームの過熱を防ぐことも必要なのだ。金融機関の存在意義や役割期待が改めて問い直されている今、手元に置きたい一冊である。

さて、若いころに読んだ『文明の生態史観』は、10年7月に亡くなった梅棹忠夫の代表的著作の一つである。物事の捉え方には、当然だと思われている一定の前提や視座があるが、その視座そのものを組み替えてみると、これまでと全く異なる物事の実相が見えてくる。

一般的に、世界の区分では「西洋と東洋」という地理的な枠組みが用いられる。だが、それだけではほかのアジア諸国に比べて、日本が急速な近代化を遂げられたことの特殊性を説明できない。梅棹は、各地での実地調査の結果として、日本の特殊性を「第一地域」と「第二地域」という用語で説明している。

中東や中国などの第二地域では、早い時期に巨大帝国が成立するものの、広大すぎる領土や複雑な民族関係、遊牧民の脅威などの影響から、政治が不安定化し、ある時期からは内部からの発展が難しくなる。その一方、西欧や日本を含む第一地域は、辺境にあるため、外部からの攻撃を受けづらく、温暖な気候も背景として、安定的で高度な社会を内部からの変革によって形成することができる..。そう論じたうえで、梅棹は「西洋と東洋」という分類は「系譜論」での説明にすぎないとする。そして、「文明とはなにか」という問いを立てたうえで分類を深めていく「機能論」という見方を提起した。