必要性を感じるものに引きつけられる
では、〈メッセージ〉で語られるべき「魅力」とは、どのようなものなのでしょうか。
といっても、基本的には、辞書の「魅力」の項目に書かれている「人のこころを引きつける力」もしくは「人のこころを引きつける特徴やもの」に近い意味あいなのですが……、「伝え方」というテーマにそって、もう少しだけ解像度を上げてとらえてみましょう。
「魅力」を読み解くヒントは、すでにふれた私たちの日常の情報とのかかわり方にあります。
第1章でぼくは、「(私たちは)情報に出くわすたびにまず、それが自分にとって“知りたいこと”や“聞きたいこと”“読みたいこと”なのかどうかを品定めするような目で見ている」とお話ししました。
そのときは、だから受け手は「伝えられたいこと」を受け入れるんだ、と結論づけましたが、さらに踏みこんで考えると、ここに私たち人間の「情報に対する判断の姿勢」を見てとることができます。
「知りたいこと」や「聞きたいこと」「読みたいこと」を求めている――ここからわかるのは、私たちが情報を品定めする際に、「自分にとって必要性があると感じるか」というものさしを大切にしているということです。
出くわしたり、投げかけられたりした情報が、自分にとって必要なものだと感じれば、人はかかわろうとする。
でも、必要がないと感じると、かかわるのをやめてしまう。
必要性の有無によって、受け手は引きつけられたり、引きつけられなかったりするのです。
つまり、自分にとっての必要性と密接につながっている〈メッセージ〉に、受け手は魅力を感じるということ。
ただし、この必要性は、客観的な事実ではなく、あくまで受け手自身の主観にもとづくものです。
まわりから見てその人に必要かどうかではなく、受け手が自分自身で必要と感じるかどうか。もっといえば、実際に必要かどうかも関係なく、本人が「必要そう」と思えれば、それは必要性があるということです。
当然、そこには情緒的なものも含まれます。
たとえば、気分。ちょっと笑いたい気分のときに、それを満たすのに必要だからかかわる。
イメージもそうです。もっと素敵な自分になりたい。そうなるために必要だからかかわる。
要するに、受け手自身が「理想的だ」と感じる状態にたどり着くために必要なもの。〈メッセージ〉で語られるべき「魅力」とは、そういう必要性を感じるものです。
受け手は必要性を自覚していない
とはいえ、人に対して必要性を訴えかけるのは、じつはそう簡単なことではありません。
スティーブ・ジョブズが「多くの場合、人はかたちにして見せてもらうまで、自分がなにを欲しいのか、わからないものだ」という言葉を残しているように、受け手は「本当は自分がなにを必要だと思っているのか」について、あらかじめ自覚できていないことが少なくないからです。
では、どうすれば、そんな相手に必要性を感じてもらうことができるのか。それを読み解くヒントが、テレビなどで放送されている通販番組にあります。
仮に「高性能の低反発マットレス」が商品として紹介されているとしましょう。この手の番組では、たいてい「こんなお悩みはありませんか?」などとして、商品にかかわるところで、生活者が日ごろ困っているであろう事柄を指摘するところから話がはじまります。
たとえば、「高性能の低反発マットレス」なら、まず、
・目覚めがわるくて、一日のスタートを気持ちよく切れない。
といったことを俳優をつかって映像で再現したりする。
それを見て、気になった視聴者の多くは、商品に期待を寄せはじめます。
そこで商品の紹介。そして、価格の提示――とはなりません。
「お悩み」の共有ができたあとは、かならずといっていいほど、その悩みのもととなっているトラブルの原因分析がおこなわれ、解決の道筋が示されます。
「高性能の低反発マットレス」であれば、
・だから、体圧を適切に分散できるマットレスでの睡眠が望ましい。
といった解説が、専門家の見解などを引用されながらおこなわれます。
そこまで語って、ようやく商品の紹介、です。
そして、補足の情報があれこれ加えられたり、司会者と出演者とのやりとりなどがあったあとで、価格の提示、となります。