嫌な関係は断ち切ったほうが楽

誘いを断り続けて、毎日ひとりで音楽を聴き、本を読んでいた。春が近くなって、外の景色もいい。

当時の日記を読み返すと、その晴れ晴れとした筆致になんだか胸が熱くなる。色で言えば真っ黒だった高校と浪人時代の日記が、そこだけほんのり明るくなっているようだ。

毎日誰とも話さずに過ごして、ようやくわかったことがある。

その人間関係はいらなかったのだ。

学校や予備校で、自分だけひとりではいられないから。自分も集まりに行かなければ、陰口を言われるから。そんな理由で頑張って積み重ねてきた人間関係だった。

それが学校がなくなってみれば、ないほうが幸せだったのだ。本当にいい関係であれば、学校があってもなくても、どうしても会いたくなるはずではないか。

この人間関係はここで断ち切ったので、大学以降は引きずらずに済んだ。後々のことも含め、ここでの人間関係の大転換は、その年に起きたどんな社会的な重大事件より、自分にとっては大事件だった。

さらに付け加えておくことがある。大学に入った後はまた別の人間関係ができた。けれども数年経つと今度は、授業にたまに出てアルバイトをするだけの、あまり人と話さない生活にはまった。これが自分の人生で一番長い間孤独だった時期だ。

この時は、孤独でいい気分だとは思っていない。誰か気が合う人と話がしたいと、いつも思っていた。それも忘れられない思い出だ。

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孤独は否定も肯定もされない「無風状態」

人間関係はあったほうがいいのか、それとも孤独がいいのか?

これは実は悪い質問だ。人間関係もよし悪し、孤独もよし悪しだねといった答えしか出てこない。何かのはっきりとした思いはあるのに、それをぼやけさせてしまう。

人間関係がある状態とない状態を対極に置いて、よりたくさん友達がいることが幸せだと見なす。これが長らく日本社会で一般的だった価値観だ。

最近はその逆を行って、孤独がいいと言われ始めている。けれども、これにも疑問を持っている。自分はそのどちらでもなく、前からこう提唱している。

「自分を否定してくる人間関係」と「肯定してくれる人間関係」、それを両極に置いて考えるべきだ。

そして孤独はその真ん中にある、否定も肯定もされない無風状態だ。

これが自分の実感のとおりだし、多くの人もそう感じるのではないか?

否定される関係のなかにいるよりは、友達がいないほうがはるかにマシだ。つまりあれらの気分の悪い関係は、いっそのこと全部なくしてしまっても、そんなに悪くはないということなのだ。

けれども友人がひとりもいないのがベストだと思う人は、いないとは思わないが、決して多くない。自分もそう思えないほうのひとりだ。やはり自分を肯定してくれる人間関係があれば、よりいいだろう。

友達はいいものか悪いものか? 家族は? そんなことをいくら考えても答えは出ない。友達だろうが家族だろうが、否定されるならないほうがいい。肯定されるならいいものだ。単にそれだけなのだ。

人間関係か孤独か、そんなおかしな二者択一で考えていたら、とてもまずいことが起きる。例えば学校の人間関係で苦しんだ人が、その後関係のすべてをあきらめてしまうということになりかねない。