「立憲の敗因」を分析するメディアの矛盾

まず、現状出回っている「立憲の敗因」のおかしさを指摘したい。指摘の方向が矛盾しているのだ。

例えば参院大分補選。立憲公認の吉田忠智氏を、共産、社民両党が支持し、さらに日頃は立憲をくさしてばかりの国民民主党までもが県連レベルで支援し、事実上の「野党統一候補」として与野党一騎討ちの構図に持ち込んだが、激闘の末に惜敗した。この選挙結果を受けて、メディアは「野党共闘の効果が疑われる」などと批判した。

一方、衆院千葉5区補選では野党候補が乱立した。立憲公認の矢崎堅太郎氏は、これも大激戦の上、自民党の新人候補に惜敗した。するとメディアは、今度は「野党が一本化できなかったのは失敗だ」と酷評するのだ。

ずいぶんご都合主義な批判だと思うが、身もふたもなく言えば、要するに野党がまとまろうと、バラバラで戦おうと、どちらも僅差で敗れ、勝利にはつながらなかった、ということだ。これは立憲単独の問題であり、「野党一本化の是非」に寄りかかった敗因探しは、そもそも間違っている。

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「最後の一押し」が足りずに負けるのは変わっていない

立憲のこの「負け方」には既視感がある。2021年秋の前回衆院選である。個別の小選挙区では接戦区が続出し、自民党の現職幹事長を破る「金星」を挙げるなど自民党を震え上がらせたが、結果として多くの選挙区で競り負けた結果、立憲は公示前議席を割り込んでしまった。

接戦に持ち込む力はあっても、最後の最後で詰め切って勝ちに持ち込むことができない。つまりは「あと一押し」を呼びかける「地力」が足りない。これは1年半前から変わらない、立憲の大きな課題だ。そして「地力を付ける」ことは、人間で言えば筋トレみたいなもので、短期間では効果は出ない。メディアは面白くないから書かないだけで、立憲の課題は結党当時から、別に何も変わっていないのだ。