「月に47万円」必要に迫られてキャリアアップの道へ

我慢強さを自認する恵子さんだったが、あるとき、自分と夫、夫の従業員3人の確定申告をしていた時、「洗濯をしないと」と夫の作業着を持った瞬間、なぜか、わーっと涙がこぼれ出た。「なんか、もう、ダメだな」とふと思ったという。まるで水面張力を保っていた“我慢の瓶”の水が溢れ出したような感覚だった。ずいぶん後になって、相談に来るシングルマザーやプレシングルマザーの離婚相談から、「あっ、一緒」と自分も過去に我慢をしてきたことを自覚したという。

これをきっかけに、恵子さんは第2子を産んだ3年後、31歳でシングルマザーの道を選ぶことになった。長男は10歳、長女はまだ4歳。離婚後、最初に思ったのは、「子ども2人が20歳になるまで死ねないな」ということだった。そこで、2人が大学まで行くとして、いくらかかるかを計算したところ、生活費と学費、貯金を考えれば、月に47万円が必要だということがわかった。これは、必死に働けなければいけない。半年間、収入が無くても食べていけるだけの貯金を作ることを目標に据えた。

不動産の営業は歩合制なのだが、離婚のゴタゴタで成績が振るわず、収入も貯金も底をつき、夜は駅前のスナックで働くというダブルワークを始めた。「借金しても返す自信がなかったので、借金だけはするまいと思って」

子どもたちには借りてきたDVDを与えて、夜は2人で過ごす日々となったが、「夜の一人暮らし」に、10歳の長男が音を上げた。

「もうダメ。だから、やめて」

涙ながらの訴えに、恵子さんは長男を抱きしめて泣いた。

「うん、じゃあ、もう、やめるね」

昼も夜も本気で働き軌道修正をしたところ、不動産の成績はぐんと上がり、夜の仕事を3カ月で辞めることができた。歩合がいい時は、月47万円は容易くクリアできた。やっぱり、この仕事が好きだと恵子さんは思う。

児童扶養手当はいらないと奮起 マイホームも購入

「不動産の営業は面白いですね。最初にヒアリングをして、その家族がどういう生活をしているかなどを聞いて、その家族になりきって物件を探すんです。それがすごく好きなんです。ある程度絞ってご案内すると、大体そこでもう、ドンピシャってなることが多くて」

業者同士の土地売買や建売業者が土地をまとめて購入する場合などは1億円を超える取引の仲介を行うこととなり、大きな収入となる

「だから、児童扶養手当の限度額を超えちゃうんです。でも、そこを気にしていたら、それ相応の金額にしかならない。児童扶養手当は要らない、それよりどんどん稼ごうと」

34歳の時に「年金代わりになればいいな」と、アパート1棟を買った。個人融資を受けようと十数行の銀行を回ったが、「しょせん、女だからね」と相手にされない。こうなるとがぜん、燃える恵子さん。最終的には国民生活金融公庫から2600万の融資を受け、アパートを購入。月24万ほどの家賃収入を得ることとなった。これで毎月8万から10万ぐらいが手元に残り、貯金に回すことができた。

翌年、自分にもし何かあったらと賃貸暮らしが心配となり、35歳で家を建てた。シングルマザーはなかなか住宅ローンが通らないものだが、2950万の融資を受け、自分の貯金も使って3200万円でマイホームを建築した。

「家賃を払っているよりいいだろうし、自分がもし死んでも、住むところと多少の生命保険があれば、きっと誰かが子どもの面倒を見てくれるだろうと思いました」