「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」という噂が広まる

ペストの流行が始まると、「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」という噂が広まり、激昂した市民がユダヤ人街を襲ったのです。1348年、スイスのジュネーヴで始まった虐殺は、ライン川流域と南フランスで繰り返され、多くの難民を生み出しました。

モンゴルの侵攻によって人口が希薄になっていたポーランドは、皮肉なことにペスト禍を免れ、西ヨーロッパに比べればユダヤ人差別も軽微でした。「大王」の異名で呼ばれるポーランド王カジミェシュ三世(1310〜1370年)は、西ヨーロッパからのユダヤ難民を受け入れてポーランドの復興に成功しました。

美術の世界では15世紀以降、死や疫病を象徴する骸骨や、死の恐怖から逃れようとするためか集団で踊り狂う「死の舞踏(ダンス・マカブル)」の絵画がさかんに描かれ、「死を忘れるな」(ラテン語で「メメント・モリ」)という言葉が、さまざまな場所に刻まれました。

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民衆が救いを求めた聖セバスチャンと聖ロック

その一方で民衆は、ペストから身を守る守護聖人として、聖セバスチャンと聖ロックに救いを求めました。

256年生まれの聖セバスチャン(セバスティアヌス)はローマ帝国末期、ディオクレティアヌス帝の親衛隊長だった人物とされます。キリスト教弾圧を命ずる皇帝のもとで、密かにキリスト教に改宗したために告発され、野原に立てたくいに縛られたうえに、大量の矢を射られて処刑されましたが、それでも死ななかったという伝説の人物です。ペストの主症状である黒斑=「神の矢」という連想から、ペストからの守護聖人になりました。

1295年にフランスのモンペリエで生まれた聖ロック(聖ロクス)は20歳で両親を亡くしたのち、ローマ巡礼中にペスト流行に遭遇し、患者の介護にあたりました。自らも罹患りかんしたため、森に死に場所を求めますが、犬が食料を運んでくれたので助かったという、これまた伝説の人物です。その画像は、「結節のある太腿」と「犬」で象徴されます。