「君は、大物になる」の言葉の重み
歌い終えた明宏は、二階の三島の席にもどった。
三島の様子がいつもと違っていた。悪態をつかれるだろうと予想していたが、三島は神妙な顔つきをしていた。
「ぼくの歌、どうでしたか?」
恐るおそる明宏が訊いた。
「君は、大物になる」
三島が、明宏を見つめながら答えた。
「たった一言でしたけど、それは私にとって千万の言葉より嬉しいものでした」
明宏は、三島の言葉の重みを今に至るまで忘れていない。
歌手としての運命を拓いた一通の紹介状
しかし、「ブランスウィック」には永くいられなかった。店の大事な客を、あっさりと袖にしたことが原因だった。
「そんなお偉いさんは、うちにはいらない。今すぐに出て行け!」
ケリーが、明宏を睨みつけながら叫んだ。
捨てる神あれば、拾う神あり。
ケリーに代わって、明宏の前に現れたのが橘かほるだった。
元タカラジェンヌの橘かほるは、日本のシャンソン界の草分けの一人である。たまたま明宏は、シャンソンの会でかほるの前座をつとめた。明宏は、艶やかなメイクをほどこして「枯葉」や「ラ・メール」を熱唱した。
「あなた、なかなかやるじゃない」
かほるは、類いまれな明宏の資質と才能を見抜いた。
「銀座七丁目の『銀巴里』に行って、バンドマスターの原孝太郎さんにこの紹介状を渡しなさい」
かほるが書いてくれた一通の紹介状が、明宏の運命を拓く。
「銀巴里」は、伝説のシャンソン喫茶である。昭和二十六年の開店当初は、デラックス・キャバレーだった。店内にはダンスホールとラウンジを備えて、大勢のホステスを雇っていた。ステージ上では、原孝太郎率いる六重奏団がアルゼンチン・タンゴを演奏していた。
明宏は、毎日「銀巴里」に通って、原の指導を受けた。名伯楽を得て、明宏の歌は急速に上達した。シャンソン、タンゴのほかに、ラテン音楽にまでレパートリーを広げて、十七歳の明宏は、「銀巴里」のステージでプロデビューを果たした。