食事を「片付ける」ことで「食べた」気になっている父
「ただいま」
私はそう声をかけて家に入った。母がウチにいるという設定なのだが、なぜか父は家には入らず、庭のまわりをうろうろした。とり急ぎ、私は冷蔵庫を開けてみた。すると数日前に用意していった経口流動食「メイバランス」やパン類がほとんどそのまま置かれている。その後に弟夫婦が追加した食材もそのまま。
「定期巡回」のスタッフが出してくれた食事もそのまま冷蔵庫に戻してある。冷蔵庫には新聞や急須まで入っており、急須の蓋を開けて見ると、中にはオリーブオイルが満タンに入っていた。大好物のあんパンだけは食べたようで、その空袋がなぜか換気扇の紐に縛りつけられていたのである。
おそらく父は食事を片付けたのだろう。父にとっては「食べる」と「片付ける」はほぼ同義で、こうして片付けることで食べた気になっているのかもしれない。
――何か食べた?
私が問うと、父が首を振る。
「なんにも」
――なんにも食べてないの?
「なんにも食べてない。なんにもしてない」
――ダメじゃん。
私は思い切り否定した。妻を見習ったつもりだが、迫力が足りないのか、まったく反応がなく、こう言い換えた。
――ちゃんと食べてください、って田中先生も言っていたよ。
田中先生とはかかりつけの診療所の医師の名前である。ケアマネジャーの小暮さんによると、認知症は権威に弱いとのこと。病院の医師や白衣にも弱いそうで、困った時は「田中先生が言っていた」というフレーズが有効らしいのである。
好物の肉豆腐丼に歓声をあげた父
「田中先生が?」
――そう。エミちゃんも言ってたし。
権威ついでに妻の名前も繰り出すと、父はぽかんと口を開けた。開いた口に放り込むように父の妹である「ウタちゃんも言ってたよ」と続けた。父の中に人を増やす。力のある存在を植えつけることで、行動変容を起こすのだ。哲学的には自己意識における「他在」の問題になるのかもしれないが、話しぶりとしては誰がどうしたという単なる世間話である。認知症に限らず人は世間話で動く。自らの主義主張より世間に合わせる。世間に合わせていることを忘れて主義主張を持ったつもりになるだけなのだ。
などと考えながら私は冷凍ごはんをチンしつつ、フライパンで豆腐を焼いて肉豆腐のタレをからませ、父の好物である肉豆腐丼をつくった。
「うわーっ、おいしそう!」
父は歓声をあげた。
――さあ、食べて。
「いいの? いっちゃっていいの?」
――いいよ。遠慮しないで。いっちゃって。
「そんなこと言わないでよ」
妙に絡む父。
――食べて。
「だから半分こ、しようよ」
そう言って父は肉豆腐丼をふたつに切り分けようとした。