認知症の父を介護した経験を持つノンフィクション作家の髙橋秀実さんは、食事も満足に一人で取れない父の姿を見て「認知症になった原因」を直感した。その答えは亡き母と父の60年にわたる夫婦生活にあった。髙橋さんの著書『おやじはニーチェ』(新潮社)より紹介しよう――。(第2回)

※本文内の旧字を一部新字体にし、ルビを振っている箇所があります。

シニア男性
写真=iStock.com/bee32
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スーパーの前で徘徊する認知症の老人

その3日後、私は車で実家に向かった。弟夫婦や毎朝来る「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」のスタッフからも「異常なし」という報告を受けており、ひとまずは安心していたのである。

スーパーの前を通り過ぎようとすると、入口付近にリュックサックを背負った父が立っており、私はびっくりしてブレーキを踏んだ。ぽかんと呆然とした表情の父。まるで徘徊はいかいする認知症の老人のようではないか。実際、認知症の老人なのだが。

――お父さん!

遠くから声をかけると、父が顔を上げた。

――どうしたの?
「いや、どうしたもこうしたも、お母ちゃんがさ」
――お母さんが?
「出てこないんだよ。さっきからずっと待ってるんだけっども」

父は母を待っていた。その佇まいは飼い主を待っている犬のようだった。以前もこうして買い物をしていたのだろう。

――お母さんはウチだよ。

咄嗟に私がそう言うと、父は目を丸くした。

「そうなのか?」
――そう。ウチにいるから。だから帰ろうよ。
「なんだそうなのか。なんだなんだ、てっきり俺はまだかまだかと思っててさ。でもあれだね、よくわかったね」
――何が?
「いや、俺のこと」

自分を指差す父。

――わかるよ。だってお父さんじゃん。
「えっ、そうかい?」
――そうだよ。

父の背中は洗濯板のように硬かった

私は父を抱きしめ、すっかり冷えている背中をさすった。骨ばった背中は洗濯板のように硬かった。考えてみれば、父はいつも何かを待っていた。ボケは待ちボケというべきか、何を待っているのかわからず、待ち切れずに外に出て、外で待つ。待つことで世界を取り戻そうとしているかのようなのである。実際、私と歩き始めるといつもの調子を取り戻したようで、「見て、この景色」「最高!」などと叫び、みるみるうちに顔が赤らんできた。