野党の一丁目一番地は「政権監視と批判」

また、今年は4月に統一地方選がある。中選挙区や大選挙区が主体の地方選挙は、各党が独自の党勢拡大をより重視する。特に、立憲も維新も、先の衆院選や参院選では「地方組織の手薄さ」という弱点をさらけ出した。地方議員を増やし「地力」をつけることは、両党にとって急務だ。

野党各党が「独自の戦い」への誘惑に駆られ、国会活動に影響を及ぼす可能性も否定はできない。

こういう政治状況の中で、それでも野党は昨秋の臨時国会のように主導権を握り続け、岸田政権を追い詰めていけるかが問われることになるのだが、ここで野党自身も含め、そろそろ私たちが認識を新たにしたいことがある。

国会における「与党」「野党」と、一つひとつの政党では、その役割は全く違うということだ。

政党は「目指す社会像」を同じくする(はずの)個々の政治家が、まとまってその社会像実現に向けて行動する政治集団だ。同じ政党のなかに「目指す社会像」の方向性が全く違う政治家がいたら、それはその政党の存立に関わるだろう。

しかし、国会での「与党」「野党」の役割は、それとは異なる。

国会での「野党」の定義は明確だ。連立政権を組んでいる自民、公明両党以外の政党は、保守党だろうがリベラル政党だろうが、すべからく「野党」である。「ゆ党」なんて存在しない。

そして、国会における野党の最大の役割は「政権の監視と批判」である。旧統一教会被害者救済新法のように、野党が政府に政策を提案してその実現を図ることもあるが、それ以前にまず、一丁目一番地として「政権監視と批判」がきちんと行えなければ、野党の存在価値はない(昨年前半の立憲は、そのことを忘れて政権批判の手を緩めたために、有権者にそっぽを向かれ、参院選大敗につながった)。

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国会では「野党である」だけでまとまっていい

これはあらゆる野党が共通して持つべき役割であり、個々の野党の政治スタンスは関係ない。どんなに「目指す社会像」が違っても、国会では今目の前にある政権与党の問題点を洗い出し、追及し、改めさせるのが、それぞれの野党の仕事だ。野党間の競争は国会外でやるべきなのだ(昨年前半の維新は、そのことを忘れて「国会内での立憲批判」に終始したために、野党全体の勢いを削ぎ、参院選での自らの伸び悩みにつながった)。

国会内で野党間の協力という話が出ると、メディアはなぜか「選挙協力は?」「連立は?」という話に、一足飛びに飛躍する。国会での連携と選挙協力、連立協議までを雑駁ざっぱくに、一緒くたに論じ「どうだ、まとまれないだろう?」と突きつけてくる。

そうなれば野党各党や支持者の間に「確かに、あの党とは連立を組めない」「選挙で候補者調整してあの党の候補を推薦するなんて無理」などと、ネガティブな反応が生まれてくる。「野党である以上、立場は違っても国会ではそろって政権を批判する」という当たり前のことに、二の足を踏む空気が生まれてしまう。やがて野党の連携が乱れ、結果として「与党ペースの国会」が出来上がる……。

私たちはこれまで何度も、そんな国会を見せつけられてきた。

もう、こういうことはやめにしたい。「野党はただ『野党である』というだけで、国会内では組んでも当然なのだ」という考え方を取り戻したい。