「僕も家で死にたい。病院にはあんまり行きたくない」

【六三郎】痩せちゃったからね、かわいそうだったね。でも悔いはない。ずっと一緒だったから、そりゃもちろん寂しい時もあるよ。でも今も、死んだと思わないのよ。心の中で、話しかけてる。家に帰ると「ばあば、帰ってきたよ」って。「ばあば、幸せだったね。そのうち行くからね」って。最近、知り合いがどんどん亡くなっていく。先日もばあばと共通の友人が亡くなって、

「ばあば、またお友達、増えてよかったね。ばあばの周り、いっぱいだな」って話したよ。

1956年に結婚して60年近く、女房に怒ったことは一度もない。浮気はしたことがあるけれど……大昔にね。

撮影=笹井恵里子
若かりし日の道場六三郎さんと妻の歌子さん

僕も家で死にたい。病院にはあんまり行きたくない。家に子どもたちがいてくれて、きょうだい以上のかずちゃん(和子さん)がいて、それがいい。

介護に関わる誰もが対等という理想的な関係

歌子さんが亡くなって7年――今は照子さんと二人で暮らしている。

「父は寂しがり屋ですから、母が亡くなった時にこのまま一人にしておいたら危ないと感じました。その頃父は不整脈が起きて心臓の手術をしたんです。母がいたベッドに父を寝かせ、今は私が隣で寝起きを共にしています。父は90歳を超えた今も、やんちゃ坊主。血糖値の関係で甘いものを食べちゃいけないと言ってもこっそり食べるし、お酒は飲むし、なかなか言うことを聞きません。父親というよりきょうだいです」

照子さんが笑う。

道場家は、経済的に恵まれた環境と人手があったから、自宅で看取れたというのはあるだろう。けれどもそれだけではなく、介護に関わる誰もが対等で、何となくほわんとした、戦闘態勢でないところも穏やかな最期に結びついた気がする。

「てるちゃん、こんな優しい親、ほかにいないよ」と、和子さん。そうかもしれない。私も料理記事でもない取材先で、手作り一品をご馳走になったのは初めてだ。この家ではきっと、いつ何時も日常生活が続いているのだと感じた。

関連記事
介護のプロが見ればすぐにわかる…認知症の兆候を示す「財布の意外な変化」
「どうせわからないから」と誤魔化すと失敗する…認知症検査を拒み続ける母を動かした息子の一言
「ああああああああ」妻は起床時に1時間ワライカワセミのような奇声を…万策尽きた60代夫の壮絶ワンオペ介護
80歳で品出しを担当する「ノジマのばあば」が夫の認知症悪化でも仕事を辞めなかった理由
「脳トレはほぼ無意味だった」認知症になっても進行がゆっくりな人が毎日していたこと