「僕がいると、とにかく機嫌がよかった」
【次女・照子】和子さんは朝から晩まで本当によくやってくださいました。それで母が水を得た魚のように活き活きしだしたんです。あれだけ寝たきりで脱水・栄養不足のような感じだったのに、出かける力もついてきて、家族旅行にも行けるようになりました。
ですが、それから数年経ち、再び母に“人が変わる”時が頻繁に現れ始めました。徘徊みたいな症状もあって、夜に「××が待っている」「赤ちゃんが泣いている」と言い出したり、だるい感じだったのに急に立ち上がってカバンにお財布を入れて「さあ行かなきゃ」と出ていっちゃう時も……。
【六三郎】何回か捜したことあったなあ。
【和子】私が買い物から戻ると、部屋にいないこともありました。どこを呼んでも捜してもいない。マンションの管理人さんに聞いても「通りませんよ」と言う。困り果てて階段で「ママ!」と叫んだら、「かずちゃん、こっちにいるよ」って声がかえってきて。「今そこに行くから動かないで」と迎えに行きました。社長に言って、玄関の鍵を二重に付けてもらったんです。しょっちゅうじゃないのよ。普段はとても穏やか。それなのに、時々どうしたの? というくらい人が変わっちゃうの……。
だが、六三郎さんは「僕がいると、とにかく機嫌がよかった。だから機嫌のいい時しか知らないし、認知症って感じがしなかった」という。
父が帰ってくると「おかえり」と自然に言う
それに対し、照子さんは「母も調子がいいんですよ」と打ち明ける。
歌子さんの目の前に、六三郎さんの写真を置いておく。そうすると歌子さんは「この人、誰?」と不思議そうに尋ねるのだという。照子さんが「道場六三郎よ。ばあばの旦那さんでしょう。私のパパでしょう」と応えると、「へー!」と驚いたそうだ。
「にもかかわらず、父が帰ってくると『おかえり』と自然に言うんです。亡くなる1~2年前から私のこともよくわからなくなっていたと思います。『~なのね』と話しているのに、急に口調が変わって『~ですか』と敬語になったり、怒り出したり」
やがて週3回・和子さんに加えて、週2回・姪(頼子さん)、週1回・長女(敬子さん)、週1回・次女(照子さん)の介護体制を整えた。夜に看ていたのは六三郎さんだ。
【六三郎】帰ると、「ばあば、帰ったよ」と手を握って、夜はいつも一緒のベッドで寝ていたよ。その時も手を握って。ただね、ばあばは起きると慌てて歩く癖があって、足がついていかなくてバタッと倒れてしまう。
ベッドから落ちたこともありました。その時はかわいそうだった。