「ちょっとつらいから寝るわ」と横になってばかり
判断力や計算はそれほど問題ないようでしたが、案の定「記憶の部分が劣っている」と言われたのです。「認知症」と診断されました。本人も同席していましたが、それをどう捉えたかわかりません。今振り返れば、治す薬があるわけではなく、何の指導もありませんでしたし、受診した意味があったのかな、と……。
当時は父のお店がとても忙しかったんです。私もまた子どもを育てながら、朝から晩までずっと店にいました。朝5時には子どものお弁当作りで起きなきゃいけないのに、自宅に戻るのが夜の12時すぎみたいな状態で。そこまでお店が忙しくなる前は、しょっちゅう母に電話して食事や買い物に出かけていたんです。
なのに父も私も忙しくなって、母は家に一人でいることが多くなりました。するとおかしな言動が多くなり、だんだん弱って、あまり食べなくなって。それで私が時折様子を見に行っても、「ちょっとつらいから寝るわ」と、横になってばかり。のどが渇いたと言うので、水を渡すと、「ああ、おいしい」なんて言っていました。今思えば孤独だったんでしょうね。
介護施設に「母を預けようか」と考えたが…
夫である六三郎さんも、次女の照子さんも、歌子さんの衰弱に心を痛めていた。しかし双方とも仕事があり、いつもそばにいることはできない。照子さんは目の前にある介護施設に「母を預けようか」と考えたという。
そんな時、銀座ろくさん亭のチーママであった和子さんが“手伝い”を買って出た。現在82歳になる和子さんだが、道場家との付き合いは45年前の37歳の時から。歌子さんとともに店を切り盛りし、何十年も苦楽を共にしてきた道場家の一員ともいえる。そんな和子さんの登場によって、歌子さんは元気を取り戻していったのだった。和子さんが当時を振り返る。
【和子】今から12年前の2010年、ママ(歌子さん)が「具合が悪い」と聞いてね、「それじゃ1回顔を出すね」って言って、自宅を訪ねました。それからお手伝いとして通うようになったんです。ママは私より12歳年上で、当時私は70歳、ママが82歳でした。お店に来てくれた常連さん、実家のことなど、二人でこんなことあったね、そうだったねと昔話をしていましたよ。だんだん食欲が戻ってきて、日中は散歩に出かけたりもしました。
ママは何しろ社長(六三郎さん)が家に帰ってくるのが楽しみだったの。でも疲れてしまうと、すぐ横になりたがるから、「もう社長が帰ってくるから起きて、ちょっとお茶でも飲もう」と無理に起こして。週3回くらい通って、買い物や料理などを少し手伝っていました。