「女性には性欲がないかのようになっている」

生理用品の会社が子どもと保護者向けに現在配っている性教育のパンフレットでは、女子の性欲については一切触れないまま、男子の性欲についてはどういうタイミングで起きるか、の解説も書いてありました。

「男子はエッチな刺激を脳が受けると、それに反応して、ペニスがかたく大きくなります」

しかし女子も、エッチな刺激を脳が受けて反応する感覚ってあると思うんですよね。男性の「勃起」のような分かりやすい身体的変化がないから名前が付いてないだけで。

おそらく小中高生向けの性教育は、「生殖」の部分だけを最低限に教える、というのが前提になってるように思います。だから生理と射精は教えなきゃいけなくて、射精には性欲がどうしてもくっついてるので説明せざるを得ない、みたいな。だからそこでわざわざ女性の性欲のほうに触れるのはなんか逆にヘン、みたいな感覚が長らくあったとか、何かいろいろ理由があると思います。

別に男女ともに性欲についての話を大っぴらにしたほうがいいなんて思わないけど、この「生理と射精を対に教えることで、暗に女性には性欲がないかのようになっている」ことで起きる影響って結構あると思う。

「女性の生理は大変」と「男性の性欲は大変」

「生理は大変」という話になると、男性が対抗するように「男も性欲のコントロールが大変」という話を始めることがあるけど、これは「女性は性欲のことで困ることがない、性欲のことでの苦労は分からない」という前提になっているんじゃないかと思います。

先の「エロ本が必要なんだ」という意見の根っこにもその発想があることを感じます。

確かに男性は最後にビャッと出てくるものを処理するのはめんどくさいだろうから、できる場所や状況が限られる苦労はあるだろうな、と想像します。

でも「今すぐ処理できない状況なのにムラムラしちゃって大変」とか、「毎日のように訪れるムラムラにウンザリ」とか、1人でしたあとの罪悪感と眠気とか、誰かと性行為したいのに相手が見つからなくてずっと悶々としてしまうとか、そういう「性欲に関する大変なこと」って生理とは別のところで、女も同じようにあるんですよね。

だから本来、「生理大変」に対して「男は性欲大変」は対抗として成立しないわけです。

女性の性欲は教科書みたいな“公式”の場で触れられることがなく、男性が性欲を発揮することは「健全」と言われ、女性が性欲をほのめかすと「エロい」と称されてしまう。そのアンバランスさって、一体なんのために必要なのでしょうか?

だからもう、最初からハッキリ「男女ともに、生殖にまつわることと性欲にまつわることがある」と教えてしまったほうがいいと思うのだけど、きっとそれは難しいことなんだろうなとも思います。

イラスト=田房永子