朝5時から毎日オンラインの英語レッスン

2015年5月末、周藤が神戸で開催された日本麻酔科学会に行くと、後藤から横浜市立大学大学院で周麻酔期看護師のコースを設立すると教えられた。そして後藤は「(受験)勉強しておいてね」と冗談っぽく付け加えた。

母親に大学院進学を検討しているのだと伝えると渋い顔になった。

「普通(の看護師)でいいじゃんって言われて。普通の看護師で普通に結婚して何が不満なのって。でも私は、普通なんて面白くないって思っていたんです」

そして後藤から送られてきたメールを見せた。

「200人ぐらい麻酔科医がいる大病院の先生が、田舎の一看護師にメールをしてくれてるんだよ。なるんだったら、今なんだって説得したんです」

心強かったのは、後に看護部長となる師長の森田が背中を押ししてくれたことだった。森田の同級生が聖路加国際大学のコースを修了、周麻酔期看護師となっていた。その将来性を感じていたのだ。

写真=中村 治

6月、後藤と会ったとりだいの麻酔科教授が大学院修了後の受け入れを快諾。当時の看護部長、中村真由美にも受験の許可をとった。大学院入試は8月25日、時間はなかった。難関は英語の試験だった。

「朝5時からオンラインの英語レッスンを毎日予約しました。10分前とかに起きてパソコンの電源立ち上げて、30分のレッスン。その後、一人で英語の勉強。8時ぎりぎりになって家を出て病院に行きました。仕事が終わったらまた勉強です。仕事との両立で大変だった? いや、行きたい気持ちが強かったので大変じゃなかったです」

「追い込まれたら、人ってこんなに起きてられる」

後藤は周藤をこう評する。

「すごい勉強したと思います。彼女は優秀、頑張り屋ですよ。そして狭き門を勝ち抜いた」

シー・イズ・グレートと英語で大きな声で言った。

横浜市立大学のある神奈川県、金沢八景での大学院生活は多忙だった。周藤は論文を書いた経験もない。そもそも論文の読み方も分からなかった。

まずは図書館に行き、関係のありそうな文献を片っ端から読み漁ることから始めた。食事はほぼすべてコンビニエンスストアで済ませた。料理をしている時間がもったいなかったのだ。

「医学科の学部生の授業にも参加していました。事前に麻酔科の先生から取るべき授業をピックアップしてもらっていたんですが、あれも受けたい、これも受けたいって思うと増えてしまうんですよね。

夕方からは看護の授業。朝8時半から夜9時ぐらいまでずっと授業。空いた時間に研究をしていました。一期生として頑張らないといけないという思いがあって、36時間寝ずに勉強、研究していたこともあります」

追い込まれたら、人ってこんなに起きてられるんだって思いましたと他人事のように笑った。

2018年3、周藤は大学院の前期修士課程を修了し、とりだい病院に戻った。

最初はどこまでやれるのかという周囲の視線を感じたという。まずはちょっとした麻酔科医の手伝い、そして手術時の急変時の対応などを経て、自分の居場所を見つけていった。

「(手術中)すごく出血があったとき、私は麻酔科医でもなく、手術室看護師でもない。ただ、麻酔科医を理解して、助けることができる。麻酔科医の代わりに、あれが必要、これが必要という指示を出すことができる。それで少しずつ信頼してもらったような気がします」