こののち、サッチャーは再び黒人差別問題からは遠ざかってしまうが、このジンバブエ独立を呼び水に、さらに南隣の南アフリカ共和国(1961年にコモンウェルス脱退)で深刻化していた「アパルトヘイト(人種隔離政策)」を廃止に追い込むことが、女王や南アフリカの周辺諸国の黒人首脳らにとっての最終的な目標であった。

女王でなければなしえない偉業

南アフリカへの経済制裁を渋るサッチャーを尻目に、女王は世界各国の首脳らとも裏で連携し、アパルトヘイト反対の闘士ネルソン・マンデラ(1918~2013)をついに釈放させることに成功を収める(1990年)。

この直後に、アパルトヘイトそれ自体もなし崩し的に崩壊していったことは周知の事実である。コモンウェルスの首脳たちと長年にわたる友好関係を保ち続け、世界中に知己を持つ女王でなければなしえない偉業であった。

この点については、歴代のイギリス首相たちも認めている。サッチャーの前任者であった労働党のジェームズ・キャラハンも「女王はコモンウェルスについての権威であり、私はその意見を尊重した。私は常に思っているのだが、このローデシアに関する女王の主導権は、いつ、いかなるかたちで、君主が自らの幅広い経験に基づき、さらには完全に立憲的節度をもって、大臣たちに助言し、奨励するべきなのかを示す申し分のない事例であった」と振り返っている。

また、サッチャーの後継首相となった保守党のジョン・メイジャー(1943~)はこう断言する。

「コモンウェルスをひとつにまとめ上げている最も重要な要素が君主制である。特に加盟国には女王に対する愛着が根強い。それもそのはずで、女王は加盟国のすべてについて毎回百科事典的な知識を披露してくれた。私もコモンウェルスに関わる問題をたびたび奏上したとき、『ああその問題はこうだと記憶しておりますよ……』と、女王陛下はその問題の起源から何からすべてを、もう何年も前のことなのに懇切丁寧に教えてくださったのだ」

2013年6月26日、擲弾兵総隊長である女王陛下がグレナディアガーズに新しいカラーを授与(写真=UK Government/OGL v3.0/Wikimedia Commons

「ダイアナ事件」の教訓

まさにエリザベス2世は、祖父ジョージ5世がバジョットの『イギリス憲政論』から学んだとおり、「この国で政治的な経験を長く保てる唯一の政治家」として、もちろん立憲君主としての節度も保ちながら、歴代の政府からの諮問に対して意見を述べ、奨励し、警告を発しながら政治に携わってきたのである。しかしその女王の長い治世にも危機的な状況は見られた。