いいかえれば、たとえADHDの特性がサバンナのハンターにとっては強みであっても、現代社会では問題視されるということだ。
私たちは食料を手に入れるために狩りはしない。スーパーマーケットで買う。未知の環境を探そうとする遺伝子を持っていても、そんな環境などたくさんあるものでもない。
新たな住み処となる、まだ誰にも知られていない豊沃な谷を探そうとしても、そんな場所はもう残っていない。
それどころか、じっと座っていられないと非難さえされてしまう。子どもたちは学校で、小さな音に気を取られて黒板に集中できないと叱られてしまうのだ。
現代は、ADHDの人にとっては受難の時代である。昔なら有益とされたものが、現代の都会の生活ではトラブルの種となり、結局は無理やり薬で抑えるよりほかないのだから。
誰もが「ADHD」の特質を持っている
とはいえ、進化の見地では、ADHDを単に厄介な問題だと考えるのは浅はかである。それに、薬のほかにもADHDの問題の解決策はある。生活習慣を変えて、原始のころの暮らしに近づけることも一つの方法だ。
私たちはもうサバンナには戻れないが、外に出て走ったり、ジムに通ったりすることはできる。私たちの身体はもともと環境に適応したつくりになっているが、その環境があまりにも急激に変化したため、そのぶん認知能力にしわ寄せが来て集中力が奪われているのである。
それが、ADHD、ひいては集中力に悩む人々にとって運動が有益な理由だと考えられる。肉体に負荷がかかる行為は太古の昔に人類がごく自然に行っていたことであり、それが生命を維持していたのだから。
全人類の脳は身体を動かすためにできているが、ADHDの人々の脳はとりわけ動くことに適している。運動やトレーニングによってADHDの人々の集中力が改善されるなら、ときどき物事に集中できなくなる私たちにとっても有益なはずである。
つまるところ、私たち全員がADHDの特質を多少なりとも持っていることを忘れてはならない。
本稿で述べたように、集中力が損なわれる理由は一つではない。側坐核、つまり報酬中枢の働きは人によって違うため、それも一つの要因になりうる。
脳内の雑音の大きさも人それぞれで、前頭葉がその音を鎮めて神経を研ぎ澄ませる働きも、強い人と弱い人がいる。
いいかえれば、集中力が衰える理由は様々ある。だが、その理由が何であれ、集中力は身体を動かすことで改善される。
結論を言おう。身体を動かせば脳の機能が変わり、脳本来のメカニズムが活性化することであなたの集中力が高まるのである。
もっとも厳しい「2日間」を乗り切る
今や情報はデジタル方式が主流となり、人類の歴史が始まってから2003年までの分量に相当する情報が、わずか2日で生み出されている。
そして私たちは、パソコンやスマートフォンから続々と送り出される情報の波に押されて喘いでいる。だが、その膨大な量の情報を扱うべき肝心の私たちの脳は、何千年が過ぎようと、ほとんど進化していない。
このような環境にあれば、一つのことに集中できないのも当然であり、情報の波にのまれないためには何かしらの対策が必要だ。