読んだだけでしびれるような、原理原則など存在しない。人の気を引くコピーのようなフレーズを散りばめる必要はまったくない。普遍的であるがゆえに、戦略ストーリーの基盤にある原理原則は、書き起こすと当たり前過ぎるほど当たり前の話になる。
僕らがファーストリテイリングでお手伝いしたことのひとつは、経営幹部の仕事を、商品を中心とした経営、店舗での営業を中心とした経営、本部の管理を中心とした経営の3つの領域に分けて、それぞれについて経営者の仕事の根底にあるべき原理原則を「経営理念23ヵ条」と同じように言語化することであった。ようするに柳井さんの血となり肉となっている暗黙知を言語化し、形式知として抉り出すという仕事である。
このプロジェクトには柳井さんをはじめとする経営幹部全員で議論を重ねる必要があり、思いのほか時間がかかった。経験を凝縮して出てくる因果論理とはこういうものなのかということを目の当りにしながら、原理原則を一つ一つ抽出していく。立ち上げから半年以上かけて完成したのだが、言語化された原理原則を眺めてみると、拍子抜けするほど当たり前の話になった。
柳井さんの議論のスタイルを観察していると、口癖のように「当然ですけど」という言葉が頻発する。例えば「われわれの商売は売り場でお客様に商品を買ってもらわなければ何も始まらない。だから、作ることよりも売ることのほうが何倍も大切になる。当然ですけど」という調子である。場合によってはその後に「当たり前ですけど」と続いて念押しする。「商売は売り場で完結しなければならない。あらゆる仕事が最高の売り場をつくるということに直結していなければならない。当然ですけど。当たり前ですけど」とくる。
確かに当たり前で、当然である。しかし、だからこそあらゆる仕事の基盤になる。あらゆる思考や決断の局面で応用できる。重要なのは字面ではない。それがどれだけ本質的な因果論理をとらえているかが問題なのである。聞いただけでアッと驚くような「飛び道具」というのは、じつは底が浅く、長期にわたって商売の基盤となる原理原則なり「型」にはなり得ない。