熟年層が入信するとやめさせにくい
熟年層は人生の様々な経験も積み、それなりに分別があると思われている年代でもあり、第三者がその信仰に介入することはかなり難しい。
相談が来るのは信者の配偶者や子供たちからが多いのだが、若者と違って学業を放棄したり出家したりということもなく、週に数回くらいの活動で普通に社会生活を送るので問題性も見出しにくい。さらに教団側も安定した信者として長く教団を支えてほしいので、活動や献金で無理をさせて、部外者の介入を招くようなことはしないケースも多いのだ。
その上宗教活動が生活の中に入ることで、健康で活き活きとすることも少なくなく、相談者らも積極的にやめさせる理由が見出せないという悩みを持ったりする。入信者本人も特に男性の場合はプライドが高く、周囲の忠告に全く耳を貸さないこともある。
ただ、活動が行きすぎると、退職金がほとんどなくなっていたり、活動の激しさと疲れから事故を起こしたり、夫婦どちらかの入信の場合は離婚に至るケースも見られる。さらにこれらの熟年層が底支えすることで、教団は若者の勧誘をするための経済力を維持することができるので、頭の痛い問題であることに変わりはない。
入信する人は心の中に教えを求める「核」がある
さて、入信する人に傾向はあるのだろうか。
カルトに勧誘されるのは、人生に何らかの矛盾や虚しさを感じているときだと書いたが、私がかつて所属していた親鸞会で勧誘していたときに先輩は、入信する人は心の中に教えを求める「核」のようなものがあり、それをつかんで本人の目の前に引きずり出すのが勧誘ということだと言っていた。私にはそれがあったのだろう。たくさんの人を勧誘してきたのだが、こんな人がどうして、というケースもあれば、いかにも入らなさそうな人が入ることもあった。でも入った人は今振り返れば、やはり何らかの「核」を心の中に持っていたのだと思う。