校長が安室奈美恵にかけた重い言葉

そんな「沖縄の子」に対する絶対的な“価値づけ”へのモチベーションこそが、マキノ氏が全身でかもし出す、威厳そのものだった。厳しい態度や言葉遣いにのせて、大事なことを伝えていた。アンナ氏は校長が安室さんらに言った、こんな言葉をよく覚えている。

「一度、沖縄を捨てなさい。沖縄の言葉や文化を表現することが沖縄を大事にすることになるんじゃない。お前たち自身が沖縄なんだ。お前たちが世の中に出れば、沖縄が必ずついてくる。もっと世界のことを勉強して世界へ出ろ。お前たちの存在自体が、沖縄になるんだから」と。

沖縄アクターズスクールと創設者のマキノ氏、そしてその活動を支えたアンナ氏は確かに、沖縄や日本の枠を超えて人々の感性を揺さぶり、躍動する「人」と「一時代」を創り上げた。

「あの子たちが活躍できたのは、私たちが教えたからではなく、環境なんです。そこに奈美恵がいて、ISSAがいて、大知がいて、SPEEDがいて、沖縄の才能ある子たちがたまたまそこにいて。朝から晩までワイワイ好きなことができる環境があり、テレビに出たりする刺激があり、お互いの真似をしたり、されたりしながら高めあっていく。あの子たちは、そんな環境の中、自分たちで育ったんです」

筆者撮影
「ラブジャンクス」の設立が、自身の過去と向き合うきっかけになったと話す

歩んできたことが間違っていなかったと感じてほしい

そして2021年1月、アンナ氏は断絶していた父の元をおよそ20年ぶりに訪れた。

「オレはもう沖縄では終わった人間なんだ」

体調を崩した父は、柄にもなく弱音をこぼした。マキノ氏は、90年代にスター発掘と育成で連携していた芸能事務所ライジングプロ・ホールディングスの平哲夫社長と2019年に再び手を組み、国際的なオーディション企画を打ち出していた。だが、コロナ禍で計画は思うように進まず、80歳の身体を支えるだけの気力を失いつつあった。

きょうだいで父を元気づけようと提案したのが、アクターズスクールの卒業生が一堂に集り歌って踊る「大復活祭」の開催だった。平社長も「アクターズの功績と可能性が再び発信されるのなら」と、二つ返事で協力を申し出た。

「父の言動に傷つけられた子たちや、スクールがつらく、嫌な思い出のままの子たちもたくさんいて、その原因を私がつくったという気持ちもあります。私も含め、そんなみんなの思いを昇華させてあげたい。この出会いの全部が自分の財産だから、みんなとつながろう。歩んできたことが間違っていなかったことが確認できる、そんなイベントにしたい」