金と女にしか興味のない功利主義者に起きた変化
②加害者側の心理的葛藤に迫っている
シンドラーは初め、金と女にしか興味のない功利主義者として描かれる。設立した工場でユダヤ人を雇ったのも、シュターンの場合は経理担当者としての能力を純粋に必要としたからであり、その他のユダヤ人の採用に関しても当初はちょっとした個人的好意、気まぐれからくるものであった。つまり、ナチスの非道に対して人間としての真の良心からの抵抗ではない。
しかし前半最後、1943年3月のゲットー解体のシーン、群衆の中に「赤い服の少女」を見出す場面で、彼は明らかに変わり始めるのである。
1943年夏、プワシュフからアウシュヴィッツに移送される列車内で暑さと渇きにあえぐユダヤ人に、線路際から自らホースを持ち水をかけるシーンも印象的だ。見物するSS将校の手前、最初はどこか遠慮しているシンドラーは、しだいに真剣に、本気になっていく。
『シンドラーのリスト』が画期的だった理由
残虐なナチ将校アーモン・ゲートを見てみよう。この人物も実在の人物である(ヒトラーと同じオーストリア出身)。少尉ながら収容所所長を務め(のち大尉に昇進)、帝王のように君臨して、気のおもむくままに銃をとってユダヤ人を殺害した。その数は数百人に及ぶという。大戦末期は、その暴虐ぶりからさすがに職を解かれ、のちに連合軍に逮捕。敗戦期のナチ将校によくあるケースだが国防軍兵士と身分を偽り言い逃れようとして露見し、絞首刑に処せられている。
ドイツ人であるシンドラーとアーモン・ゲートという二人の内面の葛藤と変遷。シンドラーは人間の良心に目覚めてユダヤ人を救う決意をして彼らに赦され、アーモン・ゲートは、自身の行いの過ちに気づき苦悩しながら引き返すことができず破滅する。加害者側の人間の心理に、特にユダヤ人を殺すことについて葛藤する一人のSS将校に真正面から向き合った点で、本作はヒトラー・ナチス関連映画でも画期的な作品であるといえよう。