成功の確証がないまま見切り発車
ロシアが2月21日に2つの「人民共和国」を国家承認する手続きを踏んだことは、以上の戦略の延長線上では捉えられない。つまりプーチン大統領としてはこの段階で、時間をかけて少しずつウクライナに政治的圧力をかけ、さらにドンバスを通じてウクライナの行動を実質的に制約しようとするのではなく、むしろウクライナ全土を一気に支配下におく戦略に転換したのである。
またロシアは同日、2つの「人民共和国」との間に友好協力相互援助条約を締結した。この協定は両「人民共和国」をウクライナによる迫害から守るという名目で侵攻を開始する上で必要な法的擬制であり、国家承認は両「人民共和国」を条約締結主体とするために必要な法的基礎であった。
問題は、ウクライナを自国の支配下におくという戦略目標を達成する手段として、ロシアは時間をかけて徐々に攻めていくのではなく、ウクライナ全土の制圧によって一気に実現するやり方を、しかし確実に成功するという確証が得られないまま、あるいはそのやり方が功を奏しなかった場合の代替手段を確実に用意することなく突っ走ったと思われるところにある。
ロシア軍が抱えることになった3つの構造的な問題
このことによりロシア軍は主として3つの構造的な問題を抱えることになった。
第一は軍の編成からくる問題。2021年12月3日付の『ワシントン・ポスト』に掲載された、米国情報当局から入手したとする衛星写真を付した資料の中に、ウクライナ国境付近に集結したロシア軍の大半を占める「大隊戦術群」という単位の部隊名が言及されている。これが侵攻当時ウクライナ国境付近に125個配備されていたとする部隊であるが、これはもともと日本の1.6倍もあるウクライナのような大国を制圧するような軍事目的のために作られたものではない。
2008年8月、南オセチアを巡ってロシアとジョージアの間で行なわれた戦争は「5日間戦争」と呼ばれ非常に短期間でロシア軍の勝利に終わったのだが、ロシア軍にとってその戦い方は決して満足できるものではなかった。
冷戦時のソ連軍は1万数千人規模の兵力を有する師団編成が中心であったが、冷戦の終結並びにソ連邦の崩壊により、人員や装備の不足等もあって、このような大規模の師団を維持することは困難となり、またそもそも冷戦時に対NATO戦で想定したような大規模な戦闘はもはや生起する可能性は低く、新たな諸条件を前提とする編成への変更が模索されていた。
ところが実際には思うように改編が進まずにいたところ、対ジョージア戦を機にようやく当時のセルジュコフ国防相の下で本格的な改編が行なわれることになった。そのような経緯でできあがったのが、この大隊戦術群である。
これはおおよそ800〜900人程度を一つの単位とし、小規模ながら打撃力に優れ、比較的小さい範囲の戦場において限定的な軍事目的を達成することに適したものとして編成された。ロシアはこの大隊戦術群をもってドンバス、シリアなどで成果を上げている。