そもそもなぜGHQが草案を作ったのか

そこで次の問題は、なぜ「押しつけられた」かということです。

この点、日本国憲法に批判的な論者から「憲法9条の戦争放棄で日本を非武装にするために押しつけたのだ」という主張が時々出てきますが、戦争放棄だけが問題だったのでしょうか。

そうだとすると、戦争放棄の部分だけ「押しつけ」して、それ以外の部分はすべて日本政府に任せる形で憲法案を作らせてチェックするという方法でも良かったはずですが、実際はそういう流れにはなりませんでした。

逆に考えてみましょう。仮にGHQが日本国憲法(の草案)を「押しつけ」することなく、当時の日本政府に新憲法を作るのを完全に任せていたら、どのようになっていたのでしょうか。

(当時の日本政府というのは、戦前・戦中から政界や官界にいた人々によって構成されていたことに注意してください。)

そこで、まず日本政府がどのように憲法を作る(改正する)つもりだったのかを確認していきましょう。

民主主義体制を目指すために

細かい経緯は省略しますが、ポツダム宣言により日本で民主主義体制を確立させることが前提になっていたことから、敗戦後に日本政府は大日本帝国憲法の改正を検討することとなって、1945年10月、松本烝治じょうじ国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会(いわゆる松本委員会)を発足させました。

松本委員会の中でさまざまな憲法案が検討されたのですが、その一方で、政界・民間を問わずいろいろな立場の人々が、それぞれの観点で新憲法案を作成していきました。

この中でも重要なのが、民間の研究者たちによる「憲法研究会」というグループの案ですが、これは後で説明します。

「天皇主権、軍隊の維持」はそのまま

1946年2月、松本委員長はGHQの反応を打診するために、「松本甲案」と呼ばれる案を提出しました。

これは大日本帝国憲法をそのままベースとしたうえで、部分的にだけ改正して対応するというもので、その全貌をここで紹介することはできませんが、例えば次のようになっていました。

第1条 大日本帝国憲法は萬世一系の天皇之を統治す(★変更なし)
第3条 天皇は至尊にして侵すへからす(★「神聖にして」を「至尊にして」に変更)
第4条 天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ(★変更なし)
第5条 天皇は帝国議会の協賛を以て立法権を行ふ(★変更なし)
第6条 天皇は法律を裁可し其の公布及執行を命す(★変更なし)
第11条 天皇は軍を統帥す(★「陸海軍」を「軍」に変更)