「核の闇市場」を通じてリビアに運び込まれたようだ

警視庁は、06年8月、ミツトヨの社長、副会長、常務ら5人を外為法違反(無許可輸出)容疑で逮捕した。01年10月と11月、経産大臣の許可を受けないまま、測定機を1台ずつ、約470万円で、東京港からシンガポール経由でマレーシアのミツトヨ現地法人に輸出した疑いだった。うち1台は、国際原子力機関(IAEA)が03年12月~04年1月にリビアに核査察に入った際、核関連研究施設で発見されている。「核の闇市場」を通じて運び込まれたのだろう。

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――測定機はどういう経緯でリビアに運び込まれたのか。

日本のミツトヨ

シンガポールにあるミツトヨの現地法人

マレーシアにあるミツトヨの現地法人

マレーシアの精密機器メーカー「スコミ・プレシジョン・エンジニアリング」

ドバイ

リビア

というルートだったようだ。

――スコミ社とは。

パキスタンの「核開発の父」と呼ばれたパキスタン人の核開発研究者アブドル・カディル・カーン博士が、側近に指示して設立した企業といわれる。カーン博士は、インド中部で生まれ、その後、パキスタンに移住した。欧州の核関連施設で働き、ウラン濃縮用の遠心分離器技術を盗み出したとされる人物だ。帰国後はパキスタンの核開発を中心的に担い、核実験を成功させた。「核の闇市場」と呼ばれる世界的なネットワークを作り、北朝鮮とイラン、リビアに核関連技術を提供した。イランと北朝鮮は獲得した技術を生かし、現在も核開発を進めている。

ミツトヨの業績は90年代初めから悪化していた

ミツトヨの測定機がスコミ社に納品されたのは02年1月だった。スコミ社は当時、「リビアから発注を受けた」と説明していた。「測定機の操作方法はミツトヨの技術者に教わった」「その様子を撮影したビデオをスコミ社がリビアに持ち込み、リビア側に操作方法を教えた」とも認めていた。ミツトヨの測定機がリビアの核開発に役立っていたことを証明している。

スコミ社からドバイ、ドバイからリビアへの海上輸送に使われた貨物船は、イラン船籍だった。一連の動きに関わっている勢力が、イランにもいたのだろう。

――ミツトヨはイランと関係があるのか。

ミツトヨは、1989年から5年間にわたり、毎年1台ずつ、測定機などをイランに輸出していた。イランの軍事機関である革命防衛隊や国防軍需省、核開発関連企業が輸出の相手先だった。

――イランに輸出するきっかけは。

イラン出身で日本に帰化した男性が経営する東京都渋谷区の商社が輸出をミツトヨに提案していた。この商社は、対戦車ロケット砲の照準器に使われる目盛り板を埼玉県の光学機器メーカーがイランに無許可輸出した外為法違反事件で、00年1月に警視庁に捜索されている。イランが日本企業から軍事物資や精密機器類を調達する際の窓口だったのだろう。

そもそも、ミツトヨは、バブル崩壊のあおりを受けて90年代初めから、業績が急速に悪化していた。有望な輸出先を探していたのだろう。