「1991年に旧ソ連が崩壊し、ベラルーシの独立後に生まれ育った世代にはルカシェンコ政権を支えたソ連ノスタルジアが希薄です。彼らは留学や買い物ツアーで訪れたヨーロッパを目の当たりにした。ロシアよりもヨーロッパのほうが魅力的に映った価値観の変化はもう止められない流れとなった。ルカシェンコ体制の安定神話をよしとしない人たちが増えて、臨界点を迎えたのが2020年だったのです」
20年8月に行われた大統領選は大苦戦に陥った。ルカシェンコ大統領は徹底した暴力で反体制派を押さえつけ、さらにプーチン大統領の支援表明もあり、なんとか難局を乗り切った。秋以降、ベラルーシ当局は一連の民主派やジャーナリストを投獄した。結果、欧米諸国との関係は悪化し、制裁は再び強化された。
21年5月、ルカシェンコ体制を批判して国外に逃れたジャーナリストを乗せたアイルランドの旅客機がベラルーシ上空を飛行中、強制着陸させられた。
「ルカシェンコが引き起こしてきた人権侵害や民主派の弾圧は、あくまでもベラルーシ国内の問題だった。ところが、この旅客機を強制的に着陸させたことは周辺国の安全保障に対する直接の脅威ととらえられた。それからというもの、ルカシェンコの振る舞いを見過ごせなくなったEUは厳しい制裁を打ち出したのです」
スラブ民族3兄弟の絆
服部さんは、さらにこう続ける。
「おそらくその制裁に対する“報復”と思われますが、ベラルーシは中東からの難民を引き入れては、EU加盟国のポーランドとの国境に押し寄せるように仕向けて嫌がらせをした。するとEUは、新たな制裁を科した。対立が対立を呼び、欧米はもはやルカシェンコ政権とは関係を築きようがないと判断するようになったのです」
欧米から関係を断ち切られたルカシェンコ体制。孤立したベラルーシが頼れるのは、もうロシアしかなくなった。
「プーチンの意向に従順になるしか、ルカシェンコの生きる道はなくなったということです」
今月12日、ルカシェンコ大統領とプーチン大統領は会談し、さらなる関係強化を打ち出した。
「いまルカシェンコは、ほとんどプーチンの言いなりになっている。しかし、ウクライナに兵を出すことだけは、同意しがたい。今後、進退きわまって、兵を送る可能性はありますが、いまのところかたくなに回避しています」