性欲の果てには「女性同士のつながり」があった

Bさんは夫に内緒で、「性」の冒険を重ねていた。しかししばらくたつと、なぜだか「ぶわっとした性欲」は陰ってきた。その後は女風の利用の頻度も減っていく。

Bさんにとって一番大きかったことは、女風を通じて仲間ができたことだという。

ママ友とはどうしても「子供のスペック」を巡って意地の張り合いになってしまう。しかしSNSを通じて知り合った女風仲間とは性的なことも含めて、何でも打ち解けられる仲になった。

「ぶわっ」とした性欲の果てには、SNSなどを通じて知り合った女風仲間との出会いがあり、それは中年期以降の第二の人生においてかけがえのないプレゼントになった。

女風を長年取材していて驚かされたのが、そんな「女性たち同士のつながり」が終着点になるケースが多いということだ。

例えば、女風業界を巡っては、昨今女性用風俗をコンセプトにした「女風バー」が登場して話題となっている。女風バーは飲食業界が苦しむコロナ禍に歌舞伎町でオープンを果たしたのだが、売り上げも上々だと聞く。その中でも「女子会プラン」は人気だ。店内では、女性用の大人のおもちゃなどが展示してあったりSMショーが開かれるなどして盛況だと聞く。そこでは性についてあっけらかんと女性たちが語らい、イケメンのセラピストとともにワイワイ和やかな時間を過ごすのだ。

ブームの背景にある光と闇

令和という時代は、このように女性たちが手を取り合い連帯するなどして、積極的に性に乗り出していくようになった新時代だといえる。近年、ストリップを鑑賞することを趣味にする「ストリップ女子」という言葉が話題になっているが、これまでヴェールに包まれていた「性」のプレジャーを女性たちは次々と開拓していっているという現状がある。こうして令和は、よりカジュアルにポップに女性たちが性を愉しめる時代へとなった。

菅野久美子『ルポ 女性用風俗』(ちくま新書)

その一方で、これまで取り上げてきたように、女風の利用動機の一部には女性たちの抱える「性」を巡る深刻な生きづらさが潜んでいることから目を背けてはいけないだろう。ルッキズム(外見至上主義)によるいじめがAさんを長年苦しめてきたのは事実だし、Bさんが語るようなベッドの上での男女の不均衡もまだまだ私たちの社会には健在だ。

私は生と性とは、決して切り離せないと感じている。なぜなら「性」は、人の実存や尊厳と深く関係しているからだ。そして人が生きている限り、ずっと付きまとう問題である。だからこそ、女性用風俗が「市場」として成長しているその背景にある深層に、私たちの社会はもっと真剣に目をむけるべき時がきているのではないだろうか。

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