つまり民主党には「自民党政権と対決して選挙で政権を勝ち取ることを目指すベテラン」対「自民党政権と協調してでも政策の実現そのものを目指す中堅・若手」という「野党のあり方」に関する対立軸が、世代対立と重なる形で長く存在していた。

そしてメディアはなぜか、野党ばかりに「世代交代」をせかし続けてきた。第一、第二世代を早々に退かせ、第三世代を野党のリーダーに据えることで「与党にとって都合の良い野党」に作り替えることを、暗に狙っていたのだろう。

そして同党の下野後も、この対立軸は尾を引いている。

「わが党の政策」のアピールに躍起な国民民主党

さて、冒頭の国民民主党の予算案賛成の話に戻る。筆者が関心を持ったのは、国民民主党の前原氏が、玉木氏の方針に反対の意思を示し、採決で体調不良を理由に欠席したことだ。

前述した世代の分類に従えば、前原氏は第二世代。第二世代の中核として「選挙で自民党に勝ち、非自民政権の首相になる」ことを明確に意識していた政治家の一人だ。

前原氏はしばしば「自民寄り」という見方がなされるが、筆者はやや違うと考えている。前原氏は外交・安全保障のプロとして「外交・安保は政権交代があっても大きく変更すべきでない」という考えに立っているだけで、その大前提である「自民党と政権を争う」スタンスそのものは堅持されている。

前原氏が「希望の党騒動」(2017年)を起こしたのも、日本維新の会との連携を模索しているのも、その是非はさておき、目指したのは「非自民勢力の結集」であり「自民党政権を終わらせ、政権交代を実現する」ことだ。政策が近くとも、自民党と連立を組んだり、自らが自民党入りしたりすることを模索する発想はみられない。「非自民」という最低限の枠を壊す予算案賛成は、前原氏の頭の中には全くなかったと言っていい。

一方の玉木氏は第三世代。「非自民」という志向はもともと薄く、そもそも「野党的な批判的振る舞い」を好まない。「自民党の政策よりわが党の政策が優れている」ことをアピールできれば良いのであり、自民党と戦って勝負をつける発想は薄かった。

玉木氏は、この「第二世代」と自分たちの間に「対決型野党か提案型野党か」という、陳腐なキャッチフレーズで線を引いた。立憲民主党を「対決型野党」、国民民主党を「提案型野党」と位置づけ、立憲を「古い抵抗政党」と批判し始めた。

「提案型野党」は多くの政党が失敗してきた道

だが、玉木氏は気付いていない。「提案型野党」こそが、過去に失敗を重ねた「古い野党」であることを。

小選挙区制の導入以降、自民党と政権を争う野党第1党に対し「是々非々」路線を掲げたいくつもの「第三極」政党が生まれては消えていった。「与党寄りか野党寄りか」で党内対立を起こして分裂し、政党として長く存続できなかったのだ。

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玉木氏は「提案型」を標榜する国民民主党について「新しい野党の姿を問いたい」と語っているが、それは過去に失敗してきた「第三極」野党の焼き直しにすぎない。

小選挙区制の下、与野党が政権をかけて戦うことが制度上求められているなか、自民党から「戦って政権を奪う」という発想を持ち得ない政治家は、野党のリーダーにはなれない。「政府の予算案に賛成する」姿勢と「野党の盟主である」ことは、決して両立しないのだ。