1年かかる水準まで8カ月で到達

上田は、患者のベッドサイドで治療方針についてディスカッションするスタイルに変え、治療をガラス張りとした。内容は患者本人も聞いているので、おのずと責任感が芽生える。

参加者も、指導医と研修医だけでなく、看護師、薬剤師、理学療法士、作業療法士、言語療法士、ソーシャルワーカーなど患者に関わる全職種を対象にした。センター内のコミュニケーションは活発になり、もはや「看取り救急」と卑下する人間はいなくなった。

撮影=中村 治

マインドが変化すればスキルの向上も早い。

上田が就任して間もなく、多発外傷で胸と腹を開かなくてはいけないケースがあった。しかし、「(治療に必要な)セットが出てこない。看護師に、早よ早よというと、余計に慌てちゃって」と上田は当時を思い出して苦笑いする。しかし、そこからの上達が早かった。

「1年かかると思っていた水準まで、8カ月くらいで到達したんじゃないかな。みんなポテンシャルはあったんですよ。足りなかったのは経験ときっかけだけ」

木村にも「きっかけ」が与えられた。ECMOを使った治療である。

念願の一例目は屈辱の経験だったと木村は言う。カテーテルをうまく入れられず、最終的には上田に手伝ってもらったのだ。

「あれだけやらしてくれと言っていたECMOなのに……。その晩は悔しくて一睡もできませんでした。でも、上田先生は『ここをこうしたらいいんじゃないか』『自分のときはこうだった』と教えてくれて、すぐ2例目に挑戦させてくれた。いまはもう自信を持ってECMOを使えます」

救急のレベルアップは数字にも表れている。来院時に重篤だった患者の死亡率を2019年と2020年で比べると、敗血症死亡率は21%から8.8%に、外傷死亡率も12.9%から8.8%に減少している。

以前は全国平均並みの数字だったが、現在、全国平均値より予後がいいことは明らかだ。

病院内の足並みが揃った理由

2年目の目標は、センターの外との連携を強化することだった。大きな組織は分業が進んで縦割りになりやすいが、それは病院も同じ。いくつもの病院を経験してきた上田は、救急科と他科との関係をこう明かす。

「外傷の患者さんを開腹したときは、僕らがまず血を止めます。でも、きちっと止めるリペアになると、外科の先生に絶対かなわない。だからコラボが欠かせません。

しかし、救急医が説明しに行こうとすると、普通は『救急医に誰が協力するか』『いいから早くこっちに寄こせ』と言われてしまう」

とりだい病院は各科の垣根が極めて低い病院である。しかし、全くないわけではない。その壁を突き破って連携を深めることが次の挑戦だった。

「僕は攻めるので。対診紹介状(他科に診療を依頼したいときに担当医師が書く紹介状)をじゃんじゃん出すし、向こう(対診依頼先科)にも行って合同カンファレンスをしてもらう。

昔は他の科の先生が診に来てくれても、ダメ出しされるのが怖くてカルテを渡して終わりにしていたとか。それじゃ向こうからも信頼されない。いまは僕も含めて必ず誰かが応対して、直接顔を見て話すようにしています」

木村も他の科との関係が変わっていることを実感している。かつては放射線科にIVRが必要な患者を送っても、血管造影室で古巣の先輩医師たちの手技を黙って見ているだけだった。

しかし、いまは救急医としての意見をぶつけてディスカッションしたり、上田と一緒に緊急IVRを行うこともある。

こちらが連携を求めても相手が拒絶したら関係は構築できない。しかし、他科からの抵抗は不思議となかった。

上田は「鳥取の人は争いごとが嫌い。押しに弱いところがあるからやりやすい」と笑う。

「まあ、これは半分冗談です。何より大きいのは、病院長はじめ病院幹部が、とりだい病院を変えるんだという方針を示しているからでしょう。みんなも病院をよくしたいと考えているから、足並みが揃う」