自律的依存から他律的依存というトラップ
このように人々がトラップにかかってしまう原因を見ていくと、構造的貧困に陥ってしまう傾向を回避するのは、きわめて難しいことがわかります。その意味で、構造的貧困はユニバーサルな問題なのです。過去にあらゆる場所で繰り返されてきましたし、今後もあらゆる場所で起こりえます。実際、日本国内でも繰り返し起こっていることなのです。
高度経済成長の時代に、日本の多くの自治体は雇用を創出し経済を活性化するために工場や大規模店舗を誘致しました。自己決定での誘致の結果、地域経済は工場や大規模店に依存するようになりました。ところがバブル崩壊後の平成不況が深刻化した97年頃になると、これらの工場や大規模店舗の多くが撤退したのです。
しかしすでに地場産業は衰退し、地元商店街も壊滅していたので、工場や大規模店舗の撤退で失われた雇用を、元に戻せませんでした。そうした地域では、若年男性の自殺と、若年女性の売春が非常に増えたことも、統計的に確認されています(『自殺実態白書2008』自殺対策支援センター・ライフリンク)。他律的依存の悲劇です。
【野田】僕は、3・11以降、経済同友会のプロジェクトの委員長として5年間、被災地の三陸沿岸部の復興を支援したのですが、同じような現象を体験しました。
経済の復興のために、各自治体は交流人口を増やすことで地元経済を活性化しようとします。その一つが大手資本の誘致によるショッピングセンターの開設です。そのショッピングセンターには初めは地元の商店街もテナントとして一部入ります。でも、いずれ人口減少が避けられない中、地域経済が衰退していくと、大資本は撤退するかもしれない。
そのときにはかつての地元商店街の猥雑な生態系は消滅してしまっていて、自治体は撤退をなんとか翻意してもらうために、大資本のリクエストを最大限聞かざるをえないかもしれない。そうするとまさに、自律的依存から他律的依存への頽落となります。