変わることは、すなわち進歩である

「おまえ、最近よくなったな」

若かったころ、久しぶりに会った人にほめられたことが何度かあった。当時は正直なところ、その意味がよくわからなかった。「よくなったとは、どういうことなのだろう」と考えた末、思い当たった。

「つまり、変わったということなんだ」

「よくなった」とは、裏を返せば「変わった」ということ。すなわち変わるとは、進歩することなのだ。

長年選手を見てきて感じることがある。伸び悩んでいる選手、持てる才能を活かし切れていない選手はたいがい、「変わろう」とする意欲に欠けているのだ。もしくは変わることを嫌がる。中途半端に結果が出ているので変わる必要を認めないか、もしくは「変えたらかえって悪くなるのではないか」と恐れているのである。

なまじ才能に恵まれた選手も、そういう傾向が強かった。また、どんな選手も若いうちは生硬せいこうで、考え方にも柔軟性がない。自分を通そうとしがちだ。「自分はこのやり方でやってきたのだから、それでやってみます」といいたがる。

だが、私が見るところ、その選手は期待より低い結果しか出せていないのである。とすれば、いまのままでいいわけがない。変わらなければ、望めるのはせいぜい現状維持。もっと飛躍しようと思えば、変わろうとしなければいけないのである。

変わろうとする勇気を持て

その点、変わることに貪欲だったのが古田敦也である。彼は自信家であったが、柔軟性も併せ持っていて、よいと思ったことやアドバイスは何でもすぐに試していた。

そして自分に合っていると思えば積極的に取り入れた。変わることをまったくいとわなかったのである。

変わることに対して怖がるどころか貪欲どんよくだったことが、彼が球界を代表する選手に育った大きな要因だったと私は思っている。

私のもとで「再生」した選手も、変わることを恐れなかったから持てる力を最大限に引き出すことができたと思っている。もっとも劇的な復活を遂げたのは、中日で戦力外通告を受け、楽天に移籍してきた山﨑武司だった。

天才肌の彼は、それまで何も考えず、ただ来た球を打っているだけだった。楽天にやってきたとき、年齢的には選手として晩年を迎えつつあったが、「まだまだやれる」と私は思った。そこで「少しは頭を使ったらどうだ」とアドバイスした。

野球は相手のいるスポーツだ。自分のベストのスイングをするだけでは足りない。配球を読み、相手の心を読み、試合の流れを読め、と。

山﨑はこれを素直に聞き入れ、それまでほとんど顧みることがなかったデータも活用し、配球を読むようになった。その姿勢が、努力が、不惑を目前にしての二冠王として結実したのである。

もっと成長したいと願うなら、思うような結果が出ないのなら、変わろうとする勇気を持つことだ。

関連記事
「野村監督をしのぶ会」で、ヴェルサーチ姿の新庄剛志監督が、祭壇の写真に花を投げた理由
イメージは「面倒くさいおっさん」だけど…野村監督のID野球に多くの教え子が心酔したワケ
掛布雅之「阪神タイガースには読売ジャイアンツをライバルと呼ぶ資格はない」
「受賞者を苦しめる奇妙な賞」国民栄誉賞がイチローからも大谷翔平からも辞退されるワケ
「どんな人なのかが一発でわかる」銀座のママが初対面で必ず確認する"身体の部位"