商業的な意味合いとは違う何かがヨーロッパにはある

【青木】ええ、クライアントの自由を阻害している。だからそのとき、公的なというのかな――何を公的というかは難しいんですけれども――商業的な意味合いとは違う何かがヨーロッパにはあると実感したわけですね。

【井上】わかります。資本主義になり切っていないわけです。

【青木】経済効果よりも、もっと大事なことがある。パリでの設計は本当に制約だらけで大変なんですけれども、公益の観点から守ろうとする理屈はわかる。その制約の中にあって、それでも自由にできるのかどうかが、建築家の能力として問われているのかなという気がしますね。

【井上】ときどき大統領勅令があって、全ての制限を突破できそうなレアケースもあるんですけどね。ボーブールのポンピドゥー・センターみたいな例がね。でもそれはごく特異な場合で、普通はがんじがらめですよね。

【青木】ええ、がんじがらめ。

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ヨーロッパの施主は貴族、日本は下町の商店主

【井上】私がこの現象を社会問題として、最初に感じたのは、安藤忠雄さんが世に出られた頃です。「住吉の長屋」だけではなく、安藤さんは大阪の下町で、施主がお好み焼き屋さんとか文房具屋さんとかの店舗併設住宅もてがけておられました。それらはコンクリートの打ちっ放しですが、みなちっちゃなおうちです。それこそ十数坪の地主を施主とする住宅です。そういうちいさい土地持ちがアーキテクトに作品を要求する国って、すごいなと思ったのがはじまりです。

【青木】確かに(笑)。

【井上】ヨーロッパの都会地で、十数坪の地主ってありえないじゃないですか。東京であずま孝光たかみつ(1933~2015年)さんがつくられた「塔の家」に至っては6坪ですか。それに比べて、ロンドンの地権者はおそらく4~5人なんです。何ヘクタールというような地主しか、あちらにはいません。

【青木】そうなんですか。

【井上】しかも、みんな貴族です。私は学生のときにイギリスのお城を結構回ったんですが、まだ公爵や伯爵らが住んでいたんですよ。だけど日本に残る江戸時代の大名屋敷とか城郭はほとんど、地方公共団体が管理して一般公開もしているじゃないですか。つまり、市民の財産になっているわけです。ロンドンにかぎらずイギリスはまだ廃藩置県が終わっていないんかと。

【青木】領主がいる(笑)。

【井上】そう。どうしてそういうイギリスを、我々は近代化の先駆けみたいにして教わってきたんだろう。十数坪の文房具屋がアーキテクトに設計を依頼する日本のほうが、はるかに近代的なんじゃないか。ただ、ロンドンとちがって、日本では、ささやかな人民が自分の狭い土地へ勝手な建物を建てるから、ごちゃごちゃした街並みになるという問題もあるのですが。