清盛→頼朝→義時という大きな流れ
『鎌倉殿』の主役・北条義時は『草燃える』でも準主役でした。演じておられたのは他ならぬ松平健さんです。
幼い頃は伊豆の小さな豪族・北条家のおとなしい次男坊で、姉の政子が大好きなお姉ちゃんっ子。でも、伊豆に流されてきた源氏の御曹司・頼朝と政子が結ばれた事で、運命が大きく動き出します。
頼朝は、義時と父・時政を含めた御家人たちとともに、平家との戦いを通じて歴史上初めての武士の世を切り開いていきます。
シンプルに言い切ってしまうと、武士の世は清盛→頼朝→義時という大きな流れを通じて出来上がっていったとボクは考えています。
平清盛が望んで果たせなかった武士の世の実現に奔走した頼朝。彼は、自らの手で築いてきた幕府の骨組みを継ぐ次世代の若手として、実の弟の天才・義経ではなく、一見して地味な義時を選び、早くからあちこちに同行させて英才教育を施していきます。
お笑いに例えると、義経はザ・ぼんち
なぜ義時だったのか。
戦のスペシャリストだが政治のセンスがまるでなかった義経。それに対し、筋を通し思慮深い義時の中に、頼朝は自分と同じ政治のスペシャリストとしての資質を見抜いたのでしょう。
お笑いの世界に例えるなら、義経は1980年代の漫才ブームで一瞬輝いたザ・ぼんちのお二人ですね。では義時や頼朝はというと、ブームが落ち着いた後にレギュラー何本持つ、1人になって何をするなど先々を考え、手を打って生き残ったビートたけしさんに当たるのではないかと思います。
アウトレイジな御家人たちの、生き残りバトル
鎌倉幕府について意外と誤解されがちなのは、平家が滅ぼされ、武家の手で幕府が開かれて、めでたく天下泰平……となったわけではまったくないということ。
実は、頼朝が謎の死を遂げてからが本番なんです。
打倒平家を目指してともに戦ってきたアウトレイジな御家人たちが、今度はお互いの生き残りを賭けたバトルを開始するんです。
義時が本当に歴史の表舞台に立つのは、実はそこに至ってから。
姉の政子を頼朝の未亡人として目一杯利用し、自分の手も汚しながらどんどん人が変わっていきます。
このあたりをじっくり描いた唯一の大河である『草燃える』でも、義時はある者と手を組み、ある者とは敵対しつつ数々の謀略戦を展開します。
梶原景時、比企能員、仁田忠常、和田義盛……と、毎週のように屈強な御家人たちが暗殺され、あるいは失脚して自殺に追い込まれていく。2代将軍頼家、3代将軍実朝もそこに巻き込まれ、犠牲となっていきます。