台湾人がもつ3種類のアイデンティティ
大学生のときに、陳水扁が台湾の大統領(2000〜2008年)になった。その政策にすごくショックを受けた。台湾という国、アイデンティティを意識しはじめたのはこの頃だった。それをdodoは台湾意識と呼んだ。
「そうなんだ。じゃあさ、台湾意識ってそもそもなんなの?」
台湾アイデンティティには、3種類あるとdodoは説明してくれた。
台湾の名前を全世界に認めさせるってこと。
中国=中華民国。台湾は中華民国の合法領土。
これはかなり難しい概念。台湾ではなくて、中華民国だから、中国大陸も含まれている。今の憲法は中国大陸のことも書かれているわけ。でも、それは、私たちには関係ないことよね。
これは、馬英九みたいな人のこと。
「だいたい、選挙では、中華民国意識の人が、どちらかに揺れて、勝敗が決することが多い。浮動票というやつね。ここの人たちをどう取り込むかが選挙の鍵よ。要するに、台湾意識を持っている人たちは、台湾の新しい憲法をつくりたいと思っている。ちゃんとした国として建国して、新しい憲法をつくって、国際社会の仲間入りをしたいと思っている。それが台湾意識なの。小さい頃から、中華民国として教育を受けてきて、初めて台湾意識を芽生えさせてくれた人が台湾人の大統領となった李登輝さん、その次が、民進党として、政権交代を果たした陳水扁さんよ」
国民党の過去に触れてアイデンティティについて考える
中学校を卒業し、dodoは、進学校のとある高校に進学する。そこではバンドに明け暮れた。ギターを始めて、主にオリジナル曲を演奏した。学校のサークルだった熱音社(ロックンロール・ミュージッククラブ)には、台湾で有名なインディバンドがたくさんいた。先輩たちは、いろんな音楽を教えてくれた。ちょうど時代は、90年代。ニルヴァーナ、オアシス、ブラーと綺羅星のごとくスターバンドが世界にあふれていた。
「NHKの国際放送でLUNA SEAを聴いてハマって日本の音楽も聴き出した。ビジュアル系(笑)。それからX JAPANも聴いて、スピッツ、ミスチルとかね!」
台湾のウッドストックと呼ばれた「spring scream」に出るためにみんなで頑張った。青春そのものだった。学校も自由そのもの。土曜日は私服OKで、dodoは鼻ピアスをしていたが、何も言われなかった。ここで、人間の多様性を学んだ。
そして、大学に進学する。最初は、一般の大学の経済学部に進学したが、合わなくて、台湾芸術大学に進学し直した。そこで、第二のショックを受けた。今まで外省人に囲まれて生きてきたけど、大学にもなると台湾の他の県や市の人たちがいる。その人たちと仲良くなるにつれ、国民党がいかに昔、二二八事件(※3)など、酷いことをしてきたかを嫌でも知ることになる。親族を殺された人もいる。そのとき、dodoは自分のアイデンティティについて考えざるをえなくなった。私は何者なのか。
※3:1947年に起こった国民党政権と外省人による本省人への白色テロ
「私の周りには国民党の人しかいなかったから教えてくれなかったのかもしれないし、偶然だったのかもしれない。それはわからないけど。でもとにかく、そういう人たちと知り合って、私の考えは変わった」