――オールドメディアでもキュレーションの役割はますます重要になっていると。ソーシャルメディアにおいてはどうなんでしょう。

ソーシャルメディアをやっている人も、なんでもかんでも情報を流すのではなく、情報の受け手がほしがっているものを見つける手助けをすること、情報をフィルターすることを意識すべきです。

私があるイベントで1000枚の写真を撮ったとしましょう。私の友人たちは1000枚も写真を見たくないでしょうから、そのなかから30枚程度を選んで載せるでしょう。これは立派なキュレーションです。パーティの写真をフェイスブックにアップするときにも、友だちがよく撮れているもの、見て喜ぶようなものを選ぶでしょう。これもキュレーションです。

――キュレーションが新たな思考法の一つだとすると、教育もそれをとりいれていかなくてはなりません。

この情報過多の世界で、教職者は教育そのもの役割について悩んでいると思います。ここでも答えはキュレーションです。大学の先生がどの本を読めばいいか選ぶのもキュレーションの一部ですが、学生にもキュレーションを教える必要があります。私の母も大学教授なので、昨今の学生がグーグルとコピペで「論文もどき」を書くゆゆしい状況についてはよく聞かされてきました。これからの教育は、情報を集めてくることよりも思考の整理に重点をおくべきです。

10年前、ウィキペディアが生まれました。最初の5年ほどは大学の先生は「ウィキペディアはだめですよ、ゴミみたいな情報もまじってますからね」と言っていましたが、その後、ウィキペディアも悪くはないと考えるようになりました。

学生がパソコンを自由に使いネットにアクセスできる時代、「答え」をみつけることより分析すること、もっと複雑な問題を解くことを教えていく必要があります。これからは教わる側より教える側が大変になるでしょう。ウィキペディアで答えがみつかるような「問い」を投げかけていてはだめなのです。たとえば「ナイアガラの滝の水量はどのくらいか?」は、ウィキペディアをみれば一瞬でわかります。「滝はどのようにしてできたのか、環境や経済にどのようなインパクトをもたらすのか」という問いにはグーグルを検索しても簡単に答えはみつかりません。

先生は「コンピューターを使うな」とは言えません。教育は劇的にかわっていくでしょう。