雇用の確保を重視した修正社会主義
16年ぶりに政権を担当するSPDは英語で「Social Democratic Party」だが、デモクラティック(民主主義)よりもソーシャル(社会主義)のほうが強い。1998年から2005年まで首相だったシュレーダー氏が好例で、彼の「アジェンダ2010」は世界でも画期的な政策だった。
社会主義的な考え方では本来、国民の雇用を政府が保障する。ところが、シュレーダー氏は「保障できないよ」と言ったのだ。
企業がデジタル化などで生産性を高めると、一部の従業員は仕事がなくなる。シュレーダー改革では、企業が従業員をクビにする前提で、国と地方が再教育機関をつくり、デジタル産業などへの再就職を支援した。この「リスキリング」によって、伝統的な産業にしがみついていた人たちがごっそり辞め、企業は「インダストリー4.0」(第4次産業革命)の方向へ進むことができた。
シュレーダー改革は19世紀頃から続く“産業革命の垢”を落とす取り組みだった。産業革命によって、企業は従業員の給料を低く抑え、資本家が丸儲けするようになった。これではいけないと労働分配率を高め、雇用の確保を重視したのが「修正社会主義」だ。
弱者救済が最優先となり、産業革命が行き着いた先は“雇用の膠着化”だった。60年代から70年代にかけて修正社会主義が蔓延したイギリスや北欧は、社会の活力が急速に失われた。現在の日本も似た状況にある。
雇用の膠着化が進むと、若者は就職のチャンスを奪われる。スウェーデンなどはそのうえ税金が高いから、世代間闘争へと発展した。シュレーダー氏は、スウェーデンを見て「これはヤバい」と危機感を覚えたのだろう。どの世代だろうと、仕事がなければ企業から引き離し、再教育するほうが社会の活力を生むと考えたのだ。
メルケル首相は、シュレーダー改革のおかげで別の問題に集中できた。16年の長期政権で取り組んだことは主に2つだ。1つはドイツをEUの盟主にすること、もう1つはロシア、中国との関係強化だった。
戦後のドイツ人には、出すぎてはいけないという意識がある。第1次世界大戦で惨敗して莫大な賠償金を負わされ、「賠償金は払わなくていい」と主張したヒトラーが民心をつかんでまた惨敗した。東西に分割されるという屈辱を味わったから、戦後は「ヨーロッパで浮き上がって叩かれるのは二度とご免だ」と目立つことは避けた。
82年から98年まで首相を務めたヘルムート・コール氏は、学生時代から東西ドイツの統一に情熱を燃やした。彼は90年に統一を果たすと「東ドイツのかわいいお嬢さん」と呼んだメルケル氏を自分の後継者とした。当時、彼女は西側の体制にきてキョロキョロしている感じだった。しかし史上最年少、初の女性首相になると、「ドイツはヨーロッパのリーダーであることが重要だ」と考えるようになった。