明治維新以来の経緯:倒幕派か佐幕派か
図表2に整理したように、戦前、戦後を通じて総理大臣をもっとも多く輩出しているのは山口県である。これは明治維新時に長州藩が倒幕派代表だったからという要因が大きい。初代の総理大臣自体、長州の伊藤博文である。
倒幕派は「薩長土肥」の各藩が主な担い手である。これらの地域、すなわち鹿児島、山口、高知、佐賀では、それぞれ、3人(黒田清隆ほか)、8人(山県有朋、佐藤栄作、安倍晋三ほか)、2人(吉田茂ほか)、1人(大隈重信)とすべて総理大臣を輩出している。
他方、佐幕諸藩が多かった東北地方は、岩手の4人(原敬、鈴木善幸ほか)を大きな例外として、その他すべての県で総理大臣はゼロなのである(岩手の戦前の総理大臣は、初代政党内閣の首相となった原敬、そして海軍軍人2人なので、まずは例外的要素が大きい)。
大きく見れば、明治維新の時の倒幕か佐幕(幕府政策を擁護する勢力)かという経緯がその後も尾を引いて来ている側面があると言えよう。
だが、こうした倒幕か佐幕という地域性は必ずしも戦後にまで引き継がれているとは限らない。鹿児島や佐賀も戦後については総理を出していない。
そもそも明治維新の時の倒幕か佐幕かという経緯はどのように作用したのであろうか。直接の人脈に加えて出身地の気風(これはある意味、県民性ともいえる)が考えられる。県人会の存在が大きく作用していた時代には人脈も大きかろう。また地元高校などにあふれる地域の気風も政治家として立つかどうかの決断に影響を与えよう。
山口県の戦後の総理大臣第1号である岸信介の場合は、政治家になった要因として明治維新を担った地域の人間だという自負心が大きく作用していたのではなかろうか。