仏教と心理学の違い

お釈迦さまの仏教の立場から見た「本当に心を治す方法」は、心理学の方法とはずいぶん違います。

アルボムッレ・スマナサーラ『心は病気:悩みを突き抜けて幸福を育てる法』(河出書房新社)

ですからここでは、心理学の本で言っていることをまったく言わない可能性もあるのです。

仏教の世界では、「自我・エゴという高慢」を捨てることを徹底的に教えます。

「すべての問題は自我から生まれる」と考えているからです。

「自我・エゴ」というのは「まったく変わらない確固たる自分が存在する」と思うことです。「自我意識」と言葉が似ているので混乱するかもしれませんが、この二つは違います。

我々には瞬間瞬間、自我意識が生まれます。何かを見たら「私が○○を見た」、何かを聞いたら「私が○○を聞いた」と認識する。それが自我意識です。

この自我意識は、修行して悟りをひらくことでなくなるものです。ですから自我意識の問題は、今お話ししている自我・エゴよりずっと先にあるテーマなのです。

自我・エゴというのは、瞬間瞬間のこの自我意識に気づくことなく「確固たる私がいる」と想定することです。言い換えれば、「見たり聞いたり話したり考えたりする、変わらない自分がいる、存在している」という気持ちなのです。

変わらない自分がいると想定すると、瞬間瞬間変わってゆく環境に、適応できなくなります。それで、精神的な病気になる原因は自我だ、というのです。

自我を守っても病気が治るわけではない

そして、病気になると「私はそういう病気だからしょうがない」と思ってしまう。身体に病気がある場合も同じです。「私は生まれつき○○病だから、勉強も仕事もできないんだ」と思って、自分を正当化してしまいます。「私じゃなくて病気が悪い」と思えば、自我が守れます。それで簡単に逃げる道を選んで、ますます精神的に弱くなるのです。お医者さんたちも一生懸命頑張って、心理学的になんとか治そうとしています。

でも私に言わせれば、そういう方々というのは、結局は仏教で扱うほど幅広くは心のはらたきを勉強していませんから、やっぱり無理です。

無理だから、症状だけでも抑えてあげようと薬を出してしまいますが、ああいうのはぜんぶごまかしです。精神安定剤などいろいろな薬がありますが、飲んで落ち着くとかいう効き目はあっても、病気を根本から治せるわけではありません。