完璧な柔道で夢を叶えた苦しみ
リオ五輪で優勝した直後に大野は言った。
「観ている人に柔道の素晴らしさ、強さ、美しさを伝えられたと思います。勝負事は運が必要と言いますが、運に左右されない実力をつけたいと稽古に励んできました。それを証明できたと思います」
金メダルを獲得できる実力がありながら、運がないために負けた先輩を観て、大野は圧倒的な実力をつけようと精進する。実際にその実力はリオ五輪でほとんどの試合を1本勝ちにすることで証明された。
当時、筑波大学准教授だった山口香は「大野の柔道は長らく絶版になっていた日本柔道の新しい教科書だ。『こうした柔道をしましょう』と内外に示した。接近戦では相手に一歩も譲らず、『日本人が柔道をするのに何を譲ることがある』と言っているようだった」と語っている。「正しく組んで、正しく投げる」という日本柔道の基本を踏まえた大野の強く美しい完璧とも言える新しい柔道で金メダリストになったのである。
しかし問題はそうした完璧な柔道で金メダルを獲ってしまったことで生じてしまった。
人生を賭けた夢が叶ってしまい、目指すものがなくなってしまったのだ。都民栄誉賞をもらい、紫綬褒章までいただいてしまった。もはや求めるものは何もない。そんなときに古傷の足首や膝まで痛めて試合に出られなくなってしまう。柔道に対する熱意が急速に冷めて行ってしまった。
「好きで始めた柔道が嫌いになった。何のために稽古しているのか、自問自答する日々だった。自分は何者なのだろうと思った」
燃え尽き症候群で自分を見失いかけた
こうしたことは目指すものこそ違い、誰にでもあることだろう。目指す大学に入れた。目指す職業に就けた。子供の頃から憧れていたプロスポーツ選手になれた、などなど。そこがゴールであった場合、人は先に進めなくなってしまう。ある人は五月病になり、ある人はスランプになり、ある人は鬱病になってしまう。
大野も同様だった。何もする気がなくなってしまった。バーンアウトである。
好きなことで世界を目指しているときには夢がある。しかし、その夢が達成されたら、次の夢を見つけるのはたやすいことではない。好きなことが嫌いになった途端、自分は何のためにそれをやっているのかがわからなくなるのは当然のことだ。とすれば、「自分は何者なのか」ということになる。柔道が嫌いになるなら、自分は柔道家ではないかもしれない。そう思う大野は自失してしまったということなのだ。
しかも金メダルによって、周囲は大野が世界一強い選手だと思い込んでしまう。もはや負けることは許されない。辛く苦しい稽古も夢があったときは何でもなかった。しかし、今や何倍にもなって辛く苦しく重いものに変わってしまうのである。